沖原光孚
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- おきはら こうふ
- 沖原光孚
- 陸軍中将従二位勲一等功三級男爵
- 歩兵
- 草創期
- 山口県華族
- 嘉永1年3月3日 - 昭和6年9月11日
経歴
嘉永1年3月3日 | 生 |
明治5年10月7日 | 任陸軍大尉 |
明治17年9月20日 | 陸軍省人員局次長 |
明治19年3月1日 | 陸軍省総務局第4課長 |
明治20年6月3日 | 陸軍省総務局人事課長 |
明治20年11月16日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治23年3月28日 | 陸軍省人事課長 |
明治24年6月13日 | 第2師団参謀長 |
明治25年11月22日 | 補教導団長[1] |
明治26年4月28日 | 歩兵第13聯隊長 |
明治28年4月5日 | 陸軍少将・歩兵第1旅団長 |
明治28年11月26日 | 歩兵第4旅団長 |
明治29年10月14日 | 歩兵第8旅団長 |
明治34年5月22日 | 陸軍中将・第11師団長 |
明治35年5月5日 | 休職 |
明治37年5月9日 | 留守第9師団長 |
明治38年7月17日 | 第15師団長 |
明治39年7月6日 | 予備役 |
明治43年4月1日 | 後備役 |
明治44年 | 貴族院議員(~大正14年) |
大正4年4月1日 | 退役 |
昭和6年9月11日 | 薨去[2][3] |
栄典
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章[4] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[5] |
明治23年1月17日 | 叙従五位 |
明治28年8月20日 | 功四級金鵄勲章 勲二等瑞宝章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[6] |
明治33年4月10日 | 叙従四位 |
明治38年8月7日 | 叙正四位 |
明治38年11月30日 | 勲一等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 授旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年6月21日 | 叙従三位[8] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[11] |
大正6年1月20日 | 七十歳ノ高齢ニ付キ御紋付銀杯並ニ酒肴料下賜[12] |
昭和2年3月15日 | 八十歳ノ高齢ニ付キ御紋付銀杯並ニ酒肴料下賜[13] |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章[14] |
従二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 沖原光孚 - Wikipedia
- ↑ 官報第2823号 明治25年11月24日(木曜日)
- ↑ 官報第1415号 昭和6年9月15日(火曜日)
- ↑ この時「従二位勲一等功三級男爵」
- ↑ 官報第718号 明治18年11月20日(金曜日)
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7193号 明治40年6月22日(土曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第1339号 大正6年1月22日(月曜日)
- ↑ 官報第61号 昭和2年3月16日(水曜日)
- ↑ 官報第1724号 昭和7年9月27日(火曜日)