河内禮藏
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- かわち れいぞう
- 河内禮藏
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒7
- 鹿児島県士族
- 文久2年10月 - 昭和2年2月7日
経歴
文久2年10月 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治37年8月28日 | 歩兵第4聯隊長 |
明治37年8月29日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治38年3月1日 | 戦傷 |
明治39年2月22日 | 歩兵第4聯隊長 |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治44年9月6日 | 任陸軍少将[1]・歩兵第15旅団長 |
大正4年2月15日 | 歩兵第35旅団長 |
大正5年8月18日 | 陸軍中将・第2師団長 |
大正8年7月25日 | 待命 |
大正9年2月2日 | 予備役 |
大正14年4月1日 | 後備役 |
昭和2年2月7日 | 死去 |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正八位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
功五級金鵄勲章 | |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治44年10月20日 | 叙正五位 |
明治45年時点 | 勲四等瑞宝章 大清帝国二等第二双龍宝星 プロイセン王国二等赤鷲勲章[1] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正3年11月30日 | 勲二等瑞宝章[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正5年9月11日 | 叙従四位 |
大正7年10月10日 | 叙正四位 |
大正9年2月28日 | 叙従三位(特旨) |
大正9年11月1日 | 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- 官報第3926号 明治29年7月30日(木曜日)
- 官報号外 明治39年12月10日(月曜日)
- 官報第2270号 大正9年3月1日(月曜日)
- 官報第54号 昭和2年3月8日(火曜日)