泉法輪
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- いずみ ほうりん
- 泉 法輪
- 陸軍中佐従五位勲三等功四級
- 歩兵
- 士官生徒4
- 三重県
- 嘉永6年11月 -
経歴
嘉永6年11月 | 生 |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治17年7月時点 | 教導団歩兵大隊小隊長[1] |
明治18年5月27日 | 任陸軍歩兵中尉[2] |
明治20年5月16日 | 教導団歩兵大隊附被仰付[3] |
明治21年7月28日 | 補教導団歩兵大隊小隊長[4] |
教導団歩兵大隊附 | |
明治21年12月11日 | 教導団出仕被仰付[5] |
明治22年12月30日 | 任陸軍屯田兵中尉(転科) 補屯田兵第4大隊附[6] |
明治24年3月31日 | 任陸軍屯田歩兵中尉(改称) 補屯田兵副官[7] |
明治24年5月11日 | 札幌農学校兵学科教授ヲ嘱託ス[8] |
明治24年7月4日 | 任陸軍屯田歩兵大尉 補屯田歩兵第1大隊中隊長[9] |
明治24年7月31日 | 札幌農学校兵学科教授嘱託ヲ解ク[10] |
明治27年12月25日 | 補屯田歩兵第1大隊副官[11] |
明治29年5月8日 | 陸軍歩兵大尉(転科) |
明治29年11月5日 | 任陸軍歩兵少佐 補独立歩兵大隊長[12] |
明治30年9月13日 | 補第7師団副官[13] |
明治36年12月1日 | 任陸軍歩兵中佐 後備役[14] |
明治41年4月1日 | 明治41年4月1日より5年間勤続 |
大正2年4月1日 | 退役[15] |
栄典
明治18年7月25日 | 叙従七位[16] |
明治25年4月6日 | 叙正七位[17] |
明治27年5月29日 | 勲六等瑞宝章[18] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[19] |
明治29年12月21日 | 叙従六位[20] |
明治35年3月31日 | 叙正六位[21] |
明治37年2月10日 | 叙従五位(特旨)[22] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[23] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[24] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 2.0 2.1 官報第610号 明治18年7月14日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1166号 明治20年5月21日(土曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第1526号 明治21年7月31日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第1641号 明治21年12月17日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第1954号 明治23年1月7日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第2323号 明治24年4月1日(水曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第2364号 明治24年5月20日(水曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第2404号 明治24年7月6日(月曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第2437号 明治24年8月13日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第3451号 明治27年12月27日(木曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第4008号 明治29年11月6日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第4263号 明治30年9月15日(水曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第6126号 明治36年12月2日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第199号 大正2年4月1日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第677号 明治18年10月1日(木曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第2629号 明治25年4月7日(木曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3273号 明治27年5月30日(水曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第3951号 明治29年8月28日(金曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第4046号 明治29年12月22日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第5619号 明治35年4月1日(火曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第6181号 明治37年2月12日(金曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)