法貴六郎
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- ほうき ろくろう
- 法貴六郎
- 陸軍軍医中将正四位勲二等功五級
- 軍医
- 兵庫県士族
- 明治15年2月2日 -
経歴
明治15年2月2日 | 生[1] |
明治44年6月10日 | 任陸軍二等軍医[1] |
大正2年11月15日 | 任陸軍一等軍医 |
大正8年12月20日 | 任陸軍三等軍医正 |
歩兵第24聯隊附兼福岡衛戍病院長[2] | |
大正10年2月12日 | 補東京第1衛戍病院附兼陸軍軍医学校教官 参謀本部御用掛ヲ命ス[2] |
大正13年4月15日 | 任陸軍二等軍医正 |
大正14年5月1日 | 篠山衛戍病院長兼歩兵第70聯隊附 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍一等軍医正[1]・大阪衛戍病院附 |
昭和4年8月1日 | 京都衛戍病院長 |
昭和5年8月1日 | 第6師団軍医部長 |
昭和7年8月8日 | 任陸軍軍医監[1] 補広島衛戍病院長[3] |
昭和7年12月7日 | 第5師団軍医部長[4] |
昭和10年8月1日 | 補第4師団軍医部長[4] |
昭和11年8月1日 | 任陸軍軍医総監・待命 |
昭和11年8月29日 | 予備役被仰付[5] |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
栄典
大正9年11月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
昭和8年10月5日 | 勲三等瑞宝章[6] |
昭和10年時点 | 正五位 勲二等瑞宝章[1] |
昭和11年9月26日 | 叙正四位(特旨)[7] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- 官報第2507号 大正9年12月9日(木曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)