渡邊祺十郎
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- わたなべ きじゅうろう
- 渡邊祺十郎
- 陸軍少将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 草創期
- 福島県士族
- 安政6年1月20日 - 昭和9年5月2日
経歴
- 磐城国中村藩士渡邊正孝の長男、弟孝
- 妻イチは菅川商会取締役菅川清妹
- 長男節は鉄道院技師・建築家、二男舒・庶子眞男・三男悟
- 長女和子は陸軍少将平野秋夫に、二女キミ(君榮)は陸軍大佐梅澤銀造に、三女フミは佐賀県士族原清明に嫁す
- 妹サダは三浦宇太郎に嫁す(三浦宇之治長男)
安政6年1月20日 | 生[1] |
明治8年 | 兵学寮入[1] |
明治10年5月5日 | 任陸軍少尉[2] |
明治13年5月17日 | 任陸軍歩兵中尉[2] |
明治19年5月26日 | 任陸軍歩兵大尉[2] |
明治26年11月1日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
明治32年12月25日 | 任陸軍歩兵中佐[2] 補台湾守備歩兵第2大隊長[3] |
明治34年5月23日 | 補歩兵第12聯隊長[4] |
明治35年6月21日 | 補陸軍戸山学校長[5] |
明治35年11月15日 | 任陸軍歩兵大佐[6][2] |
明治36年7月2日 | 補歩兵第2聯隊長[7] |
明治38年7月17日 | 歩兵第58聯隊長[8] |
明治39年7月6日 | 任陸軍少将[9][10] 補歩兵第31旅団長[11] |
明治40年11月13日 | 補歩兵第34旅団長[12] |
明治43年11月30日 | 予備被仰付[13][9] |
大正7年4月1日 | 後備役[14] |
大正11年4月1日 | 退役[15] |
昭和9年5月2日 | 卒去[16] |
栄典
明治19年7月8日 | 叙正七位[17] |
明治20年5月27日 | 勲五等双光旭日章[18] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[19] |
明治25年3月28日 | 叙従六位[20] |
明治28年5月23日 | 勲四等瑞宝章[21] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[22] |
明治29年5月25日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 (明治二十七八年戦役の功)[23] |
明治30年7月10日 | 叙正六位[24] |
明治34年5月31日 | 勲三等瑞宝章[25] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[26] |
明治35年10月20日 | 叙従五位[27] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[28] |
明治39年10月1日 | 叙正五位[29] |
明治41年5月25日 | 勲二等瑞宝章[30] |
明治44年1月31日 | 叙従四位(特旨)[31] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[32] |
昭和9年5月2日 | 卒去[16] |
昭和9年5月3日 | 卒去ニ付キ幣帛ヲ下賜セラル[33] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 人事興信録 5版
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第4947号 明治32年12月26日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第5265号 明治34年5月24日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第5689号 明治35年6月23日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第5812号 明治35年11月17日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第6000号 明治36年7月3日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”歩兵第55聯隊長”とあるのは誤り。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 10.0 10.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”中将”とあるのは誤り。
- ↑ 11.0 11.1 官報第6906号 明治39年7月7日(土曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第1714号 大正7年4月23日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第2915号 大正11年4月24日(月曜日)
- ↑ 16.0 16.1 16.2 官報第2297号 昭和9年8月27日(月曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第928号 明治19年8月4日(水曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1173号 明治20年5月30日(月曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第2621号 明治25年3月29日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第4018号 明治29年11月18日(水曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報号外 明治29年6月11日(木曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第5374号 明治34年6月4日(火曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第6979号 明治39年10月2日(火曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第7473号 明治41年5月27日(水曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第8281号 明治44年2月1日(水曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第1311号 大正5年12月14日(木曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第2200号 昭和9年5月5日(木曜日)