田中光顯
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- たなか みつあき
- 田中光顯
- 陸軍少将従一位勲一等伯爵
- 草創期
- 高知県
- 天保14年閏9月25日 - 昭和14年3月28日
経歴
天保14年閏9月25日 | 生 |
明治8年5月4日 | 陸軍一等監督・陸軍省第5局副長 |
明治11年11月20日 | 陸軍監督長 |
明治11年11月22日 | 陸軍省第5局長 |
明治12年10月14日 | 陸軍省会計局長 |
明治14年10月31日 | 任陸軍少将兼参事院議官 |
明治17年6月5日 | 兼任恩給局長官[1] |
明治18年7月29日 | 兼内閣書記官長 |
明治18年12月22日 | 任元老院議官 (兼恩給局長官如故)[2] |
明治19年4月10日 | 叙勅任官二等賜上級俸[3] |
明治20年5月14日 | 兼任会計検査院長 (兼内閣書記官長如故)[4] |
明治21年5月28日 | 依願免兼内閣書記官長[5] |
明治21年12月3日 | 免兼官[6] |
明治21年12月25日 | 予備役 |
明治22年12月24日 | 任警視総監 叙勅任官一等賜上級俸[7] |
明治23年7月10日 | 貴族院議員(~明治24年4月25日) |
明治24年3月11日 | 任宮中顧問官兼帝室会計審査局長 叙勅任一等賜三級俸[8] |
明治25年10月20日 | 兼任学習院長 叙二等[9] |
明治26年3月17日 | 兼任帝室会計審査局長 叙一等 (兼学習院長如故)[10] |
明治28年3月19日 | 免兼学習院長[11] |
明治28年7月16日 | 任宮内次官 叙一等[12] |
明治30年12月2日 | 依願免本官(宮内次官)[13] |
明治30年12月7日 | 依願免議定官[14] |
明治31年1月10日 | 任図書頭 叙二等[15] |
明治31年2月9日 | 任宮内大臣[16] |
明治36年4月1日 | 後備役[17] |
明治39年4月1日 | 退役[18] |
明治42年6月16日 | 依願免本官 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ[19] |
大正3年4月16日 | 前官礼遇御免願被聞召届[20] |
大正3年6月23日 | 依願免議定官[21] |
大正7年11月25日 | 臨時帝室編修局総裁被仰付[22] |
昭和7年7月30日 | 隠居[23] |
昭和14年3月28日 | 薨去 |
栄典
勲章等
明治2年10月3日 | 叙正七位 |
明治4年1月27日 | 叙従六位 |
明治4年12月12日 | 叙従五位 |
明治10年12月8日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治12年12月16日 | 叙正五位 |
明治15年12月29日 | 勲二等旭日重光章 |
明治18年7月25日 | 叙従四位[24] |
明治19年10月20日 | 叙従三位[25][26] |
明治20年5月9日 | 依勲功特授子爵 特旨ヲ以テ華族ニ被列候事[27] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[28] |
明治25年12月29日 | 勲一等瑞宝章[29] |
明治27年6月30日 | 叙正三位[30] |
明治32年6月21日 | 叙従二位[31] |
明治33年5月10日 | 旭日大綬章[32] |
明治39年4月1日 | 旭日桐花大綬章[33] 明治三十七八年従軍記章[34] |
明治39年6月30日 | 叙正二位[35] |
明治40年9月23日 | 依勲功特陞授伯爵[36] |
明治42年6月16日 | 宮内大臣依願免官ノ際勅語ヲ賜フ 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ[19] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[37] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[38] |
昭和7年7月30日 | 隠居[23] |
昭和7年8月15日 | 家督相続人田中遜ニ襲爵被仰付[39] |
昭和14年3月28日 | 薨去 叙従一位(特旨)[40] |
外国勲章
明治32年4月18日 | ロシア帝国白鷲大綬章[41] |
明治32年7月4日 | イタリア王国一等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章 大清帝国頭等第三双龍宝星[42] |
明治33年2月6日 | ドイツ国赤鷲第一等勲章[43] |
明治34年4月16日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエ[44] |
明治36年12月25日 | タイ王国白象第一等勲章[45] |
明治37年11月29日 | 大韓帝国大勲位李花大綬章[46] |
明治39年9月29日 | 大英帝国ヴィクトリア勲章グランドクロス佩用允許[47] |
明治40年2月9日 | 大韓帝国大勲位瑞星大綬章 大韓帝国皇太子嘉礼紀念章[48] |
明治41年10月19日 | 大清帝国頭等第二双龍宝星[49] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第280号 明治17年6月6日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治18年12月22日(火曜日)
- ↑ 官報第835号 明治19年4月17日(土曜日)
- ↑ 官報第1161号 明治20年5月16日(月曜日)
- ↑ 官報第1472号 明治21年5月29日(火曜日)
- ↑ 官報第1630号 明治21年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月24日(火曜日)
- ↑ 官報第2307号 明治24年3月12日(木曜日)
- ↑ 官報第2796号 明治25年10月21日(金曜日)
- ↑ 官報第2913号 明治26年3月18日(土曜日)
- ↑ 官報第3514号 明治28年3月20日(水曜日)
- ↑ 官報第3614号 明治28年7月17日(水曜日)
- ↑ 官報第4328号 明治30年12月3日(金曜日)
- ↑ 官報第4332号 明治30年12月8日(水曜日)
- ↑ 官報第4355号 明治31年1月12日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治31年2月9日(水曜日)
- ↑ 官報第5926号 明治36年4月8日(水曜日)
- ↑ 官報第6916号 明治39年7月19日(木曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報号外 明治42年6月16日(水曜日)
- ↑ 官報第513号 大正3年4月17日(金曜日)
- ↑ 官報第569号 大正3年6月24日(水曜日)
- ↑ 官報第1894号 大正7年11月26日(火曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第1680号 昭和7年8月5日(金曜日)
- ↑ 官報第621号 明治18年8月27日(月曜日)
- ↑ 官報第994号 明治19年10月21日(木曜日)
- ↑ 従四位から従三位に昇叙。
- ↑ 官報第1156号 明治20年5月10日(火曜日)
- ↑ 官報第1928号 明治22年11月30日(土曜日)
- ↑ 官報第2853号 明治26年1月4日(水曜日)
- ↑ 官報第3301号 明治27年7月2日(月曜日)
- ↑ 官報第4791号 明治32年6月22日(木曜日)
- ↑ 官報第5054号 明治33年5月11日(金曜日)
- ↑ 官報第7194号 明治40年6月24日(月曜日)
- ↑ 官報第7578号 明治41年9月28日(月曜日)
- ↑ 官報第6901号 明治39年7月2日(月曜日)
- ↑ 官報第7273号 明治40年9月25日(水曜日)
- ↑ 官報第247号 大正2年5月28日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1689号 昭和7年8月16日(火曜日)
- ↑ 官報第3669号 昭和14年3月31日(金曜日)
- ↑ 官報第4743号 明治32年4月27日(木曜日)
- ↑ 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- ↑ 官報第4984号 明治33年2月15日(木曜日)
- ↑ 官報第5265号 明治34年5月24日(金曜日)
- ↑ 官報第6149号 明治36年12月29日(火曜日)
- ↑ 官報第6433号 明治37年12月8日(木曜日)
- ↑ 官報第6982号 明治39年10月5日(金曜日)
- ↑ 官報第7200号 明治40年7月1日(月曜日)
- ↑ 官報第7600号 明治41年10月24日(土曜日)