眞鍋斌
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- まなべ あきら[1]
- 眞鍋 斌
- 陸軍中将正三位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 山口県華族
- 嘉永4年2月5日 - 大正7年12月14日
経歴
嘉永4年2月5日 | 生 |
明治4年 | 陸軍青年学舎卒業 |
明治5年2月5日 | 任陸軍少尉 |
明治19年5月27日 | 陸軍省総務局第3課長 |
明治22年9月2日 | 歩兵第3聯隊長 |
明治24年11月20日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍省軍務局第1軍事課長 |
明治25年11月22日 | 補第4師団参謀長[2] |
明治27年8月11日 | 陸軍省軍務局第1軍事課長 |
明治28年3月18日 | 陸軍省人事課長 |
明治30年7月7日 | 陸軍少将・歩兵第9旅団長 |
明治35年6月21日 | 休職 |
明治37年4月16日 | 留守第5師団長 |
明治38年2月6日 | 陸軍中将 |
明治39年7月17日 | 休職 |
明治41年11月13日 | 予備役 |
大正3年4月1日 | 後備役 |
大正7年4月1日 | 退役 |
大正7年12月14日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年12月28日 | 叙従五位 |
明治25年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 授旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[3] |
明治30年2月10日 | 叙正五位 |
明治34年7月19日 | 功三級金鵄勲章 勲二等旭日重光章[4] |
明治35年3月31日 | 叙従四位[5] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[6] |
明治36年3月9日 | 大清帝国二等第一双龍宝星[7] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治40年10月23日 | 大韓帝国勲一等太極章佩用允許[9] |
明治40年12月10日 | 叙正四位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[12] |
大正5年12月20日 | 叙従三位 |
大正7年12月14日 | 薨去 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- 官報第503号 大正3年4月6日(月曜日)
- 官報第1701号 大正7年4月8日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では「たけし」、コトバンクで「たけし」と「あきら」
- ↑ 官報第2823号 明治25年11月24日(木曜日)
- ↑ 官報第3824号 明治29年4月1日(水曜日)
- ↑ 官報第5414号 明治34年7月20日(土曜日)
- ↑ 官報第5619号 明治35年4月1日(火曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第5950号 明治36年5月6日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7299号 明治40年10月26日(土曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)