石田榮熊
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- いしだ えいくま
- 石田榮熊
- 陸軍中将功四級
- 歩兵
- 士候27 陸大39
- 鹿児島県
- 明治25年3月30日 - 昭和44年8月21日
経歴
明治25年3月30日 | 生 |
大正4年5月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候27) |
大正4年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正13年12月26日 | 陸軍大学校入学 |
昭和2年12月6日 | 陸軍大学校卒業(第39期) |
昭和13年7月15日 | 陸軍歩兵大佐・留守第7師団参謀長 |
昭和14年4月10日 | 陸軍兵器本廠附 |
昭和16年10月15日 | 陸軍少将 |
昭和17年8月10日 | 第3野戦鉄道司令官 |
昭和18年2月3日 | 兼第4特設鉄道司令官 |
昭和18年8月6日 | 第2鉄道監兼第3野戦鉄道司令官 (兼第4特設鉄道司令官如故) |
昭和19年2月14日 | 補南方軍野戦鉄道司令官(兼第4特設鉄道司令官如故) |
昭和19年3月6日 | 免兼職 |
昭和20年3月1日 | 任陸軍中将 |
昭和20年5月23日 | 補西部軍管区司令部附 |
昭和20年6月1日 | 補第303師団長(親補) |
昭和20年8月27日 | 補西部憲兵隊司令官 |
昭和44年8月21日 | 死去 |
栄典
昭和8年5月10日 | 勲四等瑞宝章[1] |
昭和9年4月29日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[2] |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第29号 昭和19年2月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120902600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第46号 昭和19年3月9日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120904600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第42号 昭和20年3月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120934600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第118号 昭和20年5月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120942900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第127号 昭和20年6月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120944100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第1号 昭和20年8月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963200
- 官報第4456号 昭和16年11月14日(金曜日)