石田雄二
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- いしだ ゆうじ
- 石田雄二
- 陸軍軍医少将従四位勲三等功五級
- 衛生部
- 長野県
- 明治6年2月3日 -
経歴
明治6年2月3日 | 生 |
明治28年 | 第一高等学校医学部卒業 |
明治30年1月9日 | 任陸軍三等軍医 |
明治32年11月17日 | 任陸軍二等軍医 |
明治35年11月15日 | 任陸軍一等軍医 |
天津駐屯歩兵隊附 | |
明治41年11月27日 | 補清国駐屯軍病院長[1] |
明治41年12月21日 | 任陸軍三等軍医正 |
明治42年3月25日 | 補近衛歩兵第4聯隊附[2] |
明治43年8月30日 | 補歩兵第46聯隊附兼大村衛戍病院長[3] |
大正4年3月2日 | 任陸軍二等軍医正 補豊橋衛戍病院長[4] |
大正6年2月23日 | 補弘前衛戍病院長[5] |
大正7年6月1日 | 補第11師団軍医部長[6] |
大正8年4月1日 | 任陸軍一等軍医正 |
大正10年7月20日 | 補第12師団軍医部長[7] |
大正12年8月6日 | 任陸軍軍医監 |
大正13年2月4日 | 待命被仰付[8] |
大正13年2月26日 | 予備役 |
昭和9年4月1日 | 後備役 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医少将(階級呼称変更) |
昭和14年4月1日 | 退役[9] |
栄典
明治44年5月26日 | 勲四等瑞宝章[10] |
大正2年5月20日 | 叙正六位[11] |
大正4年11月7日 | 旭日小綬章 賜金1150円 大正三四年従軍記章[12] |
大正7年5月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正7年7月10日 | 叙従五位[13] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[14] |
大正9年12月25日 | 旭日中綬章 賜金1150円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[15] |
大正12年8月6日 | 叙正五位[16] |
大正13年3月25日 | 叙従四位(特旨)[17] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[18] |
出典
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第1745号 大正7年5月29日(水曜日)
- ↑ 官報第7629号 明治41年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報第7722号 明治42年3月26日(金曜日)
- ↑ 官報第8159号 明治43年8月31日(水曜日)
- ↑ 官報第773号 大正4年3月3日(水曜日)
- ↑ 官報第1368号 大正6年2月24日(土曜日)
- ↑ 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- ↑ 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- ↑ 官報第3434号 大正13年2月6日(水曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第8378号 明治44年5月29日(月曜日)
- ↑ 官報第241号 大正2年5月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1082号 大正5年3月13日(月曜日)
- ↑ 官報第1782号 大正7年7月11日(木曜日)
- ↑ 官報第3081号 大正11年11月7日(火曜日)
- ↑ 官報第2800号 大正10年12月1日(木曜日)
- ↑ 官報第3309号 大正12年8月10日(金曜日)
- ↑ 官報第3489号 大正13年4月14日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)