石黒忠悳

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  • いしぐろ ただのり
  • 石黒忠悳
  • 陸軍軍医中将従一位勲一等功三級子爵
  • 軍医
  • 幕府医学所
  • 新潟県
  • 弘化2年2月11日 - 昭和16年4月26日

経歴

弘化2年2月11日
明治6年8月20日 陸軍一等軍医正
明治9年4月12日 馬医監陸軍本病院
明治10年4月1日 大阪臨時病院
明治12年3月5日 東京帝国大学医学部綜理(~明治14年4月10日)
明治12年10月23日 陸軍軍医本部次長心得
明治13年9月28日 陸軍軍医監陸軍軍医本部次長
明治18年4月29日 内務省衛生局次長
明治19年3月1日 陸軍省医務局次長
明治20年4月29日 欧洲差遣
明治21年9月8日 帰朝
明治21年12月1日 陸軍軍医学校衛生会議議長
明治23年10月7日 陸軍軍医総監(少将相当官)・陸軍省医務局
明治27年6月5日 大本営野戦衛生長官
明治29年4月1日 復員
明治30年4月8日 陸軍軍医総監(中将相当官)
明治30年9月28日 休職
明治34年4月17日 予備役
明治35年1月25日 貴族院議員
明治38年5月8日 臨時陸軍検疫部御用掛
明治40年4月1日 後備役
明治44年時点 中央衛生会会長
明治45年4月1日 退役
大正6年2月21日 日本赤十字社社長
大正9年2月17日 枢密顧問官
大正9年9月4日 依願日本赤十字社社長被免[1]
昭和4年12月1日 議定官
昭和5年10月21日 宗秩寮審議官
昭和11年12月24日 依願免本官(枢密顧問官)
昭和12年2月15日 陸軍軍医中将(階級呼称変更)
昭和16年4月26日 薨去

栄典

明治5年4月15日 正七位
明治6年6月25日 従六位
明治6年11月17日 正六位
明治13年10月21日 従五位
明治18年11月19日 勲三等旭日中綬章[2]
明治19年11月16日 正五位[3]
明治22年11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[4]
明治23年10月8日 従四位
明治28年5月23日 勲二等瑞宝章[5]
明治28年8月20日 男爵
功三級金鵄勲章
旭日重光章
明治28年11月18日 明治二十七八年従軍記章[6]
明治29年6月20日 正四位[7]
明治34年6月21日 従三位
明治39年4月1日 勲一等旭日大綬章
明治三十七八年従軍記章[8]
明治44年7月10日 正三位[9]
大正1年8月1日 韓国併合記念章
大正4年11月10日 大礼記念章[10]
大正5年4月1日 賜金1500円(大正三四年事件の功)[11]
大正9年9月4日 子爵(勲功)(陞爵)[1]
大正9年11月1日 大正三年乃至九年戦役従軍記章
大正10年7月1日 第一回国勢調査記念章[12]
大正10年7月20日 従二位
昭和3年8月1日 正二位
昭和3年11月10日 大礼記念章
昭和6年3月20日 帝都復興記念章
昭和9年4月29日 昭和六年乃至九年事変従軍記章[13]
昭和11年12月24日 旭日桐花大綬章
昭和15年8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[14]
昭和16年4月26日 薨去
従一位(特旨)[15]

褒賞

明治11年12月27日 木杯一個
明治17年5月2日 木杯一個
大正8年2月21日 金杯一個
大正9年6月11日 金杯一組
大正9年11月1日 金杯一個
大正10年3月23日 金杯一組
大正10年5月11日 紺綬褒章
大正13年1月10日 御紋付銀杯
昭和9年2月1日 御紋付銀盃
昭和9年4月29日 金杯一組[16]

外国勲章

明治43年5月19日 大韓帝国大勲位李花大綬章
大正8年4月5日 中華民国一等文虎勲章佩用允許

出典

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