福島安正
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- ふくしま やすまさ
- 福島安正
- 陸軍大将従二位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 草創期
- 長野県
- 嘉永5年9月15日 - 大正8年2月19日
経歴
嘉永5年9月15日 | 生 |
明治11年5月7日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治27年8月27日 | 第1軍参謀 |
明治28年3月8日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治28年5月17日 | 台湾総督府陸軍局長官 |
明治28年9月18日 | 参謀本部編纂課長 |
明治29年5月12日 | 参謀本部第3部長 |
明治31年3月15日 | 兼東宮御用掛 |
明治32年1月16日 | 参謀本部第2部長 |
明治33年4月25日 | 陸軍少将・兼西部都督部参謀長 |
明治33年6月15日 | 臨時派遣隊司令官 |
明治34年6月6日 | 帰還 |
明治37年6月20日 | 満洲軍参謀(第2課長) |
明治39年4月16日 | 参謀本部次長 |
明治39年7月6日 | 陸軍中将 |
明治41年12月19日 | 参謀次長 |
明治45年4月26日 | 任関東都督[1] |
大正3年9月15日 | 任陸軍大将 後備役被仰付[2] |
大正8年2月19日 | 薨去 |
栄典
位階勲等
明治22年11月22日 | 勲六等瑞宝章 |
明治23年7月3日 | 叙従六位 |
明治26年4月11日 | 叙正六位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円)[3] |
明治28年11月15日 | 叙従五位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[4] |
明治33年7月10日 | 叙正五位 |
明治34年7月19日 | 功三級金鵄勲章 勲二等旭日重光章[5] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[6] |
明治38年7月20日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治40年11月13日 | 勲一等瑞宝章 |
明治43年8月10日 | 叙正四位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正2年8月20日 | 叙従三位 |
大正3年9月15日 | 授旭日大綬章[2] |
大正3年9月30日 | 叙正三位(特旨)[9] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正8年2月19日 | 叙従二位(特旨)[11] |
外国勲章
明治32年7月4日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治35年4月23日 | ロシア帝国聖スタニスラス剣附第一等勲章佩用允許[12] |
明治36年5月9日 | 大不列顚国皇帝皇后両陛下戴冠記念章[13] |
明治36年5月16日 | オーストリア=ハンガリー帝国戦闘飾章附鉄冠第一等勲章[13] |
大正3年6月8日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- ↑ 官報第8654号 明治45年4月27日(土曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第639号 大正3年9月16日(水曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 官報第5414号 明治34年7月20日(土曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第651号 大正3年10月1日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1964号 大正8年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第5650号 明治35年5月8日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第5975号 明治36年6月4日(木曜日)
- ↑ 官報第558号 大正3年6月11日(木曜日)