菊池常三郎
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- きくち じょうさぶろう
- 菊池常三郎
- 陸軍軍医総監正四位勲二等功三級医学博士
- 衛生部
- 佐賀県
- 安政2年8月15日 - 大正10年5月6日
経歴
安政2年8月15日 | 生 |
明治14年6月24日 | 任陸軍軍医副[2] |
明治28年4月21日 | 任陸軍軍医監[2][3]・第1師団軍医部長 |
明治28年10月31日 | 兼陸軍軍医学校教官 |
明治30年3月24日 | 陸軍一等軍医正[4] |
明治31年10月1日 | 陸軍軍医監・第4師団軍医部長 |
明治34年3月9日 | 休職 |
明治37年2月10日 | 大本営附 |
明治38年12月20日 | 第1師団司令部附 |
明治39年7月11日 | 休職 |
明治40年3月2日 | 陸軍軍医総監・予備役 |
大正10年5月6日 | 卒去[6] |
栄典
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治26年12月16日 | 叙正六位 |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章[7] |
明治28年11月15日 | 叙従五位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治31年10月31日 | 叙正五位 |
明治32年5月9日 | 勲五等瑞宝章 |
明治33年11月30日 | 勲四等瑞宝章[8] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治40年4月20日 | 叙従四位(特旨)[10] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲一等太極章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
大正10年5月5日 | 叙正四位(特旨)[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 菊池常三郎とは - コトバンク
- ↑ 2.0 2.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 大佐相当官
- ↑ 大佐相当官の陸軍軍医監から大佐相当官の陸軍一等軍医正に呼称変更。
- ↑ 官報第2633号 大正10年5月13日(金曜日)
- ↑ 大正10年5月13日官報では5月6日卒去[5]、コトバンクでは5月4日死去[1]
- ↑ 官報第3671号 明治28年9月21日(土曜日)
- ↑ 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7140号 明治40年4月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2627号 大正10年5月6日(金曜日)