萩原貞固
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- はぎわら さだもと
- 萩原貞固
- 陸軍少将正五位勲三等功四級
- 憲兵
- 草創期
- 鹿児島県士族
- 弘化2年4月 -
経歴
弘化2年4月 | 生 |
明治8年2月10日時点 | 陸軍大尉(歩兵)[1] |
明治8年7月3日 | 依願免本官[2] |
明治10年 | 西南戦争従軍(大警部) |
明治11年3月28日 | 任二等警視補[3][4][5] |
明治13年3月 | 一等警視補[6] |
明治14年4月9日 | 任陸軍憲兵大尉[7] |
明治17年7月時点 | 東京憲兵隊第1大隊中隊長[7] |
明治19年3月24日 | 任陸軍憲兵少佐[8] |
明治22年3月30日 | 補大阪憲兵隊長[9][10] |
明治25年4月6日 | 任陸軍憲兵中佐[11][12] |
明治27年9月25日 | 第2軍附 |
明治28年8月8日 | 第2軍附被免 台湾総督府陸軍局憲兵部長被仰付[13] |
明治28年8月18日 | 任陸軍憲兵大佐[14][15][16] |
明治28年9月6日 | 台湾憲兵隊長兼勤被仰付[17][18] |
明治29年5月26日 | 補台湾憲兵隊司令官[19] |
明治30年9月27日 | 補第10憲兵隊長[20] |
明治31年2月26日 | 予備役[15][21] |
明治39年4月11日 | 陸軍少将 |
明治42年4月1日 | 退役[22] |
栄典
明治11年8月時点 | 勲五等[4] |
明治18年4月7日 | 勲四等旭日小綬章[23] |
明治19年7月8日 | 叙従六位[24] |
明治25年3月11日 | 叙正六位[25] |
明治27年5月29日 | 勲三等瑞宝章[26] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[27] |
明治29年4月11日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日中綬章[28] |
明治29年4月20日 | 叙従五位[29] |
明治30年4月1日 | 賜金450円 (台湾地方軍務の功)[30] |
明治32年3月31日 | 賜金300円 (台湾守備の功)[31] |
明治39年10月30日 | 叙正五位(特旨)[32] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 陸軍武官録(明治8年)
- ↑ 太政官日誌 明治8年8−12月
- ↑ 官令全報 第24号
- ↑ 4.0 4.1 明治官員録 明治11年8月
- ↑ 勅奏官職員録 明治12年5月改正
- ↑ 明治官員録 明治13年3月
- ↑ 7.0 7.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 官報第827号 明治19年4月8日(木曜日)
- ↑ 官報第1725号 明治22年4月4日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治25年4月6日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2629号 明治25年4月7日(木曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調
- ↑ 官報第3654号 明治28年9月2日(月曜日)
- ↑ 官報第3695号 明治28年10月22日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治28年8月11日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3723号 明治28年11月25日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治28年8月12日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3877号 明治29年6月3日(水曜日)
- ↑ 官報第4273号 明治30年9月28日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治33年3月20日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7755号 明治42年5月5日(水曜日)
- ↑ 官報第557号 明治18年5月13日(水曜日)
- ↑ 官報第910号 明治19年7月14日(水曜日)
- ↑ 官報第2607号 明治25年3月12日(土曜日)
- ↑ 官報第3273号 明治27年5月30日(水曜日)
- ↑ 官報第4022号 明治29年11月24日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治29年4月23日(木曜日)
- ↑ 官報第3840号 明治29年4月21日(火曜日)
- ↑ 官報第4149号 明治30年5月5日(水曜日)
- ↑ 官報第4749号 明治32年5月4日(木曜日)
- ↑ 官報第7003号 明治39年10月31日(水曜日)