落合泰藏
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- おちあい たいぞう
- 落合泰藏
- 陸軍軍医監従四位勲二等功三級
- 衛生部
- 山口県
- 嘉永3年8月 - 昭和12年1月18日
経歴
嘉永3年8月 | 生[1] |
明治10年6月30日 | 任陸軍軍医補[2] |
明治26年11月14日 | 陸軍省医務局第2課長 |
明治27年6月5日 | 大本営野戦衛生長官部高級部員 |
明治28年4月21日 | 任陸軍軍医監[2][3] |
明治29年4月1日 | 復員 |
明治30年3月24日 | 陸軍一等軍医正(階級呼称変更)[4] |
明治31年8月4日 | 兼陸軍省医務局第1課長 |
明治33年5月20日 | 陸軍省医務局衛生課長 |
明治33年7月11日 | 陸軍軍医監・第1師団軍医部長 |
明治35年3月14日 | 休職 |
明治37年5月2日 | 第3軍軍医部長 |
明治39年1月15日 | 第1師団司令部附 |
明治39年8月6日 | 休職被仰付[5] |
明治40年3月2日 | 予備役 |
明治43年4月1日 | 後備役 |
大正4年4月1日 | 退役 |
昭和12年1月18日 | 死去[6] |
栄典
明治21年11月27日 | 勲六等瑞宝章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
功四級金鵄勲章 | |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年4月20日 | 叙従四位(特旨)[8] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第1628号 明治21年12月1日(土曜日)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第809号 大正4年4月16日(金曜日)
- ↑ 明治36年実役停年名簿に記載の年齢をもとに計算
- ↑ 2.0 2.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 大佐相当官
- ↑ 制度改正により大佐相当官の名称が陸軍軍医監から陸軍一等軍医正に変更された。
- ↑ 官報第6932号 明治39年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第3020号 昭和12年1月29日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7140号 明治40年4月22日(月曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)