藤田嗣章
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- ふじた つぐあきら
- 藤田嗣章
- 陸軍軍医中将従三位勲一等功三級
- 軍医
- 大学東校
- 千葉県
- 嘉永7年1月 - 昭和16年1月13日
経歴
嘉永7年1月 | 生[1] |
明治5年 | 大学東校員外生[1] |
明治10年6月16日 | 任陸軍軍医補[2] |
明治30年11月9日 | 任陸軍一等軍医正[2] |
明治31年10月1日 | 台湾総督府陸軍軍医部長 |
明治35年3月14日 | 第5師団軍医部長 |
明治35年11月15日 | 任陸軍軍医監[2] |
明治37年7月5日 | 第4軍軍医部長 |
明治39年1月18日 | 第5師団軍医部長 |
明治40年2月24日 | 韓国駐箚軍軍医部長 |
明治43年10月1日 | 任朝鮮総督府医院長 叙高等官一等[3][4] |
大正1年9月28日 | 陸軍軍医総監 |
大正3年7月24日 | 待命 |
大正3年9月22日 | 予備役 |
大正6年4月1日 | 後備役[5] |
大正10年4月1日 | 退役[6] |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和16年1月13日 | 薨去[1] |
栄典
勲四等瑞宝章[2] | |
明治36年2月20日 | 叙正五位[7] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治41年3月30日 | 叙従四位[9] |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[10] |
明治45年6月27日 | 勲一等瑞宝章[11] |
大正2年5月1日 | 叙正四位[12] |
大正3年10月20日 | 叙従三位(特旨)[13] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[14] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[15] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 藤田 嗣章とは - コトバンク
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第8186号 明治43年10月3日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治42年3月24日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7425号 明治41年3月31日(火曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第8708号 明治45年6月29日(土曜日)
- ↑ 官報第225号 大正2年5月2日(金曜日)
- ↑ 官報第667号 大正3年10月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)