蠣崎富三郎
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- かきざき とみさぶろう
- 蠣崎富三郎
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大7優等
- 福島県
- 文久1年3月9日 - 大正13年8月30日
経歴
文久1年3月9日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治21年11月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治24年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第7期優等) |
明治32年1月16日 | 陸軍大学校教官 |
明治37年2月6日 | 第1軍兵站参謀長 |
明治38年3月1日 | 陸軍歩兵大佐・第10師団参謀長 |
明治40年11月13日 | 歩兵第48聯隊長 |
明治42年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第28旅団長 |
明治45年2月14日 | 補歩兵第2旅団長[1][2] |
大正1年12月18日 | ロシア公使館附武官 |
大正3年8月8日 | 陸軍中将・第11師団長 |
大正6年8月6日 | 待命 |
大正7年4月1日 | 予備役 |
大正13年8月30日 | 薨去 |
栄典
明治22年7月15日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[4] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治31年10月31日 | 叙従六位 |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章 |
明治36年10月10日 | 叙正六位 |
明治38年4月7日 | 叙従五位 |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章 |
明治42年10月20日 | 叙正五位[5] |
大正3年9月1日 | 叙従四位 |
大正4年11月7日 | 賜金600円 大正三四年従軍記章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正5年9月20日 | 叙正四位[8] |
大正7年4月30日 | 叙従三位(特旨)[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に1月14日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第7899号 明治42年10月21日(木曜日)
- ↑ 官報第1194号 大正5年7月24日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1244号 大正5年9月21日(木曜日)
- ↑ 官報第1721号 大正7年5月1日(水曜日)