貴志彌次郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
- きし やじろう
- 貴志彌次郎
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 歩兵
- 士候6 陸大18
- 和歌山県士族
- 明治6年6月26日 - 昭和13年1月27日
経歴
明治6年6月26日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治30年10月25日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治34年10月9日 | 陸軍大学校ヘ入学ヲ命ス |
明治35年11月15日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治39年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第18期) |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治45年3月16日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正3年8月10日 | 支那駐屯軍司令部附(済南駐在) |
大正4年11月6日 | 陸軍歩兵大佐・青島守備軍司令部附(済南駐在) |
大正7年3月9日 | 歩兵第66聯隊長 |
大正8年7月25日 | 陸軍少将・歩兵第31旅団長 |
大正9年5月12日 | 奉天特務機関長 |
大正11年8月15日 | 関東軍司令部附(奉天駐在) |
大正13年8月20日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役[2] |
昭和12年4月1日 | 後備役[3] |
昭和13年1月27日 | 死去 |
栄典
明治28年11月15日 | 叙正八位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[4] |
明治28年12月27日 | 勲六等単光旭日章 賜金150円 (明治二十七八年戦役の功)[5] |
明治30年12月15日 | 叙従七位[6] |
明治36年2月20日 | 叙正七位[7] |
明治36年11月25日 | 勲五等瑞宝章[8] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[9][10] |
明治40年12月27日 | 叙従六位[11] |
明治45年5月10日 | 叙正六位[12] |
大正4年1月30日 | 勲三等瑞宝章[13] |
大正4年11月7日 | 旭日中綬章 賜金1750円 大正三四年従軍記章[14] |
大正5年2月21日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許[15] |
大正8年2月21日 | 中華民国三等嘉禾章佩用允許[16] |
大正8年9月10日 | 叙正五位[17] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金2000円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[18] 戦捷記章[19] |
大正13年11月15日 | 叙従四位[20] |
大正14年6月24日 | 叙正四位(特旨)[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第3110号 昭和12年5月19日(水曜日)
- ↑ 官報第3957号 明治29年9月4日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治28年12月30日(月曜日)
- ↑ 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第6123号 明治36年11月28日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では「功四」とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報第8666号 明治45年5月11日(土曜日)
- ↑ 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1117号 大正5年4月25日(火曜日)
- ↑ 官報第1068号 大正5年2月25日(金曜日)
- ↑ 官報第1967号 大正8年2月25日(火曜日)
- ↑ 官報第2132号 大正8年9月11日(木曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3672号 大正13年11月18日(火曜日)
- ↑ 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)