金久保万吉
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- かねくぼ まんきち
- 金久保万吉
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒10 陸大12
- 埼玉県[1]
- 慶応1年9月4日 - 昭和13年4月8日
経歴
慶応1年9月4日 | 生[2] |
明治21年7月28日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治26年11月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治27年7月24日 | 陸軍大学校中退 |
明治29年2月29日 | 陸軍大学校復校 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校卒業(第12期) |
明治35年11月15日 | 任陸軍歩兵少佐[3] |
明治38年6月22日 | 任陸軍歩兵中佐[4] |
明治40年11月13日 | 第10師団参謀長 |
明治41年9月30日 | 任陸軍歩兵大佐[4] |
明治44年9月9日 | 補近衛歩兵第2聯隊長[5] |
大正1年12月19日 | 補近衛歩兵第1聯隊長[6] |
大正3年5月11日 | 任陸軍少将[7]・歩兵第18旅団長 |
大正5年8月18日 | 歩兵第40旅団長 |
大正7年7月17日 | 旅順要塞司令官 |
大正7年7月24日 | 任陸軍中将[7] |
大正7年8月9日 | 第10師団長 |
大正10年3月11日 | 依願予備役被仰付[8][2] |
昭和3年4月1日 | 後備役[2] |
昭和7年4月1日 | 退役 |
昭和13年4月8日 | 薨去 |
栄典
明治24年12月9日 | 叙正八位 |
明治25年5月20日 | 叙従七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年5月23日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章 |
明治30年5月31日 | 叙正七位 |
明治35年9月20日 | 叙従六位 |
明治36年5月16日 | 勲五等瑞宝章 |
明治38年8月3日 | 叙正六位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治41年12月21日 | 叙従五位[9] |
明治44年5月2日 | 大清帝国二等第二双龍宝星佩用允許 タイ王国勲三等王冠勲章佩用允許 |
大正3年1月20日 | 叙正五位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正6年5月25日 | 勲二等瑞宝章 |
大正7年8月30日 | 叙従四位 |
大正9年9月10日 | 叙正四位[10] |
大正9年11月1日 | 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正10年3月30日 | 叙従三位(特旨) |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2535号 明治24年12月10日(木曜日)
- 官報第2667号 明治25年5月21日(土曜日)
- 官報号外 明治29年6月11日(木曜日)
- 官報第4017号 明治29年11月17日(火曜日)
- 官報第4172号 明治30年6月1日(火曜日)
- 官報第5767号 明治35年9月22日(月曜日)
- 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- 官報第6631号 明治38年8月7日(月曜日)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第8371号 明治44年5月20日(土曜日)
- 官報第442号 大正3年1月21日(水曜日)
- 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- 官報第1444号 大正6年5月26日(土曜日)
- 官報第1825号 大正7年9月2日(月曜日)
- 官報第2596号 大正10年3月31日(木曜日)
- 官報第1616号 昭和7年5月23日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では新潟県となっているが明治45年実役停年名簿・コトバンクでは埼玉県(武蔵国埼玉郡)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 4.0 4.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第8468号 明治44年9月11日(月曜日)
- ↑ 官報第118号 大正1年12月20日(金曜日)
- ↑ 7.0 7.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第2581号 大正10年3月12日(土曜日)
- ↑ 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)