長崎省吾
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- ながさき しょうご
- 長崎省吾
- 宮中顧問官正三位勲一等
- 鹿児島県
- 嘉永5年11月12日 - 昭和12年2月6日
経歴
嘉永5年11月12日 | 生 |
明治9年5月9日 | 在英国公使館附書記二等見習申付候事[1] |
明治14年2月26日 | 任四等掌典[2] 宮内省御用掛被仰付候事[3] |
明治14年5月25日 | 任宮内権少書記官[4] |
明治17年10月3日 | 任式部官[5] |
明治20年4月15日 | 兼任宮内大臣秘書官[6] |
明治21年3月8日 | 兼任式部主事 (兼宮内大臣秘書官如故) 叙奏任二等[7] |
明治21年4月20日 | 兼任主猟局主事 (兼宮内大臣秘書官式部主事如故)[8] |
明治21年5月16日 | 兼任小松宮家令 (兼宮内大臣秘書官式部主事主猟局主事如故)[9] |
明治22年7月23日 | 任宮内大臣秘書官兼式部官 (兼主猟局主事小松宮家令如故) 叙奏任官二等賜二級俸 宮内書記官事務補助ヲ命ス[10] |
明治22年7月31日 | 式部職事務兼勤ヲ命ス[11] |
明治24年3月18日 | 叙奏任官一等賜四級俸 兼補調査課次長[12] |
明治26年3月28日 | 式部職事務兼勤ヲ免ス[13] |
明治26年4月13日 | 第四回内国勧業博覧会事務官被仰付[14] |
明治26年6月23日 | 依仁親王欧米ヘ被差遣候ニ付随行被仰付[15] |
明治27年7月11日 | 免調査課次長[16] |
明治28年3月19日 | 叙二等[17] |
明治28年6月27日 | 免兼小松宮家令[18] |
明治30年1月15日 | 兼任大喪使事務官[19] |
明治30年9月16日 | 兼任調度局長(兼式部官如故) 叙二等[20] |
明治30年12月28日 | 故従一位公爵島津忠義葬儀掛被仰付 鹿児島出張被仰付[21] |
明治31年2月23日 | 内匠頭股野琢不在中代理被仰付[22] |
明治31年9月10日 | 任調度局長(兼式部官如故) 叙二等 任宮内大臣秘書官 叙三等[23] |
明治33年2月11日 | 東宮御婚儀御用掛被仰付[24] |
明治35年2月1日 | 彰仁親王殿下英国戴冠式参列ニ付随行[25] |
明治37年1月28日 | 臨時博覧会評議員被仰付[26] |
明治37年2月16日 | 兼任宮中顧問官 叙一等[27] |
明治39年11月19日 | 貞愛親王殿下英国ニ被差遣ニ付随行被仰付[28] |
明治41年1月1日 | 調度頭(改称) |
明治41年6月23日 | 昇叙高等官一等(調度頭) 依願免宮内大臣秘書官 賜一級俸(調度頭)[29] |
明治42年2月25日 | 北白川宮御用掛被仰付[30] |
明治42年4月23日 | 日英博覧会評議員被仰付[31] |
明治43年12月10日 | 兼任別当 叙高等官二等 閑院宮附被仰付[32] |
大正1年7月31日 | 大喪使事務官被仰付[33] |
大正1年8月1日 | 儀式部員ヲ命ス(大喪使) 用度部員ヲ命ス(大喪使)[34] |
大正1年9月10日 | 明治天皇霊柩供奉被仰付[35] |
大正2年1月14日 | 大礼準備委員被仰付[36] |
大正2年11月22日 | 大礼使参与官被仰付 調度部長ヲ命ス[37] |
大正3年3月25日 | 臨時泰宮御用掛被仰付[38] |
大正3年4月11日 | 大喪使事務官被仰付[39] 用度部長ヲ命ス[40] |
大正3年6月27日 | 免式部官別当 宮内官分限令第六条第一項第四号ニ依リ休職被仰付(調度頭)[41] |
大正5年6月26日 | 休職満期(調度頭)[42] |
昭和12年2月6日 | 薨去[43] |
栄典
位階勲等
明治14年3月25日 | 叙正七位[44] |
明治17年3月29日 | 叙従六位[45] |
明治19年7月8日 | 叙正六位[46] |
明治20年11月25日 | 勲五等双光旭日章[47] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[48] |
明治24年12月7日 | 叙従五位[49] |
明治26年12月28日 | 勲四等瑞宝章[50] |
明治28年4月20日 | 叙正五位[51] |
明治28年12月4日 | 勲三等旭日中綬章 (明治二十七八年事件の功)[52] |
明治32年9月14日 | 木杯一箇下賜[53] |
明治33年4月20日 | 叙従四位[54] |
明治37年12月27日 | 勲二等瑞宝章[55] |
明治38年5月1日 | 叙正四位[56] |
明治39年4月1日 | 授旭日重光章[57] 明治三十七八年従軍記章[58] |
明治41年4月30日 | 勲一等瑞宝章[59] |
明治43年5月10日 | 叙従三位[60] |
大正4年11月7日 | 銀杯一組ヲ賜フ (大正三四年戦役の功)[61] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[62] |
大正5年1月19日 | 授旭日大綬章[63] |
大正9年5月20日 | 叙正三位[64] |
大正9年11月1日 | 金杯一箇ヲ賜フ (大正三年乃至九年戦役の功)[65] |
外国勲章
明治20年10月5日 | ドイツ国三等王冠勲章[66] |
明治21年1月21日 | タイ王国三等王冠勲章[67] |
明治24年6月1日 | トルコ国メジディエ第三等勲章[68] |
明治25年4月11日 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[69] |
明治27年10月30日 | ベルギー王国三等レオポルド勲章 オランダ王国三等オラニエ=ナッサウ勲章 デンマーク王国三等ダンネブロ勲章 スウェーデンノルウェー連合王国三等聖オーラヴ勲章 プロイセン王国二等王冠勲章 ザクセン王国三等アルブレヒト勲章 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国二等白隼勲章 トルコ国メジディエ第二等勲章 オーストリア=ハンガリー帝国二等フランツ・ヨーゼフ勲章 スペイン王国シャールトロワー第三等勲章[70] |
明治27年12月24日 | セルビア王国三等タコヴォ十字章[71] |
明治28年10月31日 | イタリア王国三等王冠勲章[72] |
明治29年8月20日 | トルコ国救難章[73] |
明治31年4月27日 | イタリア王国二等王冠勲章[74] |
明治32年4月21日 | 大清帝国二等第一双龍宝星[75] |
明治33年2月6日 | ドイツ国金剛石装飾星章附二等赤鷲勲章[76] |
明治33年6月21日 | トルコ国メジディエ第一等勲章[77] |
明治34年5月17日 | フランス共和国三等レジオンドヌール勲章[78] |
明治35年10月13日 | イタリア王国二等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章 スペイン王国一等イサベル・ラ・カトリカ女王勲章 ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章 フランス共和国二等黒星勲章[79] |
明治35年10月28日 | 大不列顚国皇帝皇后両陛下戴冠記念章[79] |
明治35年12月27日 | ベルギー王国二等王冠勲章[80] |
明治38年6月27日 | 大韓帝国勲一等太極章[81] |
明治39年3月10日 | 大不列顚国二等聖マイケル・聖ジョージ勲章[82] |
明治40年9月16日 | 大不列顚国一等ヴィクトリア勲章 フランス共和国二等レジオンドヌール勲章[83] |
明治40年11月29日 | プロイセン王国赤十字第三等記章[84] |
昭和2年4月19日 | ドイツ国赤十字第一等名誉章[85] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 辞令(在英国公使館附書記二等見習申付候事)
- ↑ 2.0 2.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 辞令(任四等掌典)
- ↑ 3.0 3.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 辞令(宮内省御用掛被仰付候事 但月俸五拾五円下賜事)
- ↑ 4.0 4.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 辞令(任宮内権少書記官)
- ↑ 5.0 5.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 辞令(任式部官)
- ↑ 6.0 6.1 官報第1136号 明治20年4月16日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第1405号 明治21年3月9日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1440号 明治21年4月21日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第1462号 明治21年5月17日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1821号 明治22年7月25日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第1828号 明治22年8月2日(金曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第2313号 明治24年3月19日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第2921号 明治26年3月29日(水曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第2934号 明治26年4月14日(金曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第2995号 明治26年6月24日(土曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第3311号 明治27年7月13日(金曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第3516号 明治28年3月23日(土曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3598号 明治28年6月28日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報号外 明治30年1月16日(土曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第4265号 明治30年9月17日(金曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報号外 明治30年12月28日(火曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第4391号 明治31年2月24日(木曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第4562号 明治31年9月12日(月曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第4981号 明治33年2月12日(月曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第5572号 明治35年2月3日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第6171号 明治37年1月29日(金曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第6185号 明治37年2月17日(水曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第7019号 明治39年11月20日(火曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第7497号 明治41年6月24日(水曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第7698号 明治42年2月26日(金曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第7746号 明治42年4月24日(土曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第8243号 明治43年12月12日(月曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第2号 大正1年8月1日(木曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第3号 大正1年8月2日(金曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第37号 大正1年9月11日(水曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第136号 大正2年1月15日(水曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第397号 大正2年11月24日(月曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第495号 大正3年3月26日(木曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第509号 大正3年4月13日(月曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第510号 大正3年4月14日(火曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第573号 大正3年6月29日(月曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第1171号 大正5年6月27日(火曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報第3029号 昭和12年2月9日(火曜日)
- ↑ 44.0 44.1 〔辞令他 明治9年5月以降〕 位記(叙正七位)
- ↑ 45.0 45.1 官報第223号 明治17年3月31日(月曜日)
- ↑ 46.0 46.1 官報第907号 明治19年7月10日(土曜日)
- ↑ 47.0 47.1 官報第1324号 明治20年11月26日(土曜日)
- ↑ 48.0 48.1 官報第1935号 明治22年12月9日(月曜日)
- ↑ 49.0 49.1 官報第2533号 明治24年12月8日(火曜日)
- ↑ 50.0 50.1 官報第3152号 明治26年12月29日(金曜日)
- ↑ 51.0 51.1 官報第3540号 明治28年4月22日(月曜日)
- ↑ 52.0 52.1 官報第3732号 明治28年12月5日(木曜日)
- ↑ 53.0 53.1 官報第4926号 明治32年12月1日(金曜日)
- ↑ 54.0 54.1 官報第5038号 明治33年4月21日(土曜日)
- ↑ 55.0 55.1 官報第6450号 明治37年12月28日(水曜日)
- ↑ 56.0 56.1 官報第6528号 明治38年5月2日(火曜日)
- ↑ 57.0 57.1 官報号外 明治40年3月31日(日曜日)
- ↑ 58.0 58.1 官報第8108号 明治43年7月2日(土曜日)
- ↑ 59.0 59.1 官報第7451号 明治41年5月1日(金曜日)
- ↑ 60.0 60.1 官報第8063号 明治43年5月11日(水曜日)
- ↑ 61.0 61.1 官報第1255号 大正5年10月5日(木曜日)
- ↑ 62.0 62.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 63.0 63.1 官報第1038号 大正5年1月20日(木曜日)
- ↑ 64.0 64.1 官報第2339号 大正9年5月21日(金曜日)
- ↑ 65.0 65.1 官報第3148号 大正12年1月31日(水曜日)
- ↑ 66.0 66.1 官報第1284号 明治20年10月7日(金曜日)
- ↑ 67.0 67.1 官報第1367号 明治21年1月23日(月曜日)
- ↑ 68.0 68.1 官報第2378号 明治24年6月5日(金曜日)
- ↑ 69.0 69.1 官報第2635号 明治25年4月14日(木曜日)
- ↑ 70.0 70.1 官報第3407号 明治27年11月5日(月曜日)
- ↑ 71.0 71.1 官報第3454号 明治28年1月7日(月曜日)
- ↑ 72.0 72.1 官報第3706号 明治28年11月4日(月曜日)
- ↑ 73.0 73.1 官報第3946号 明治29年8月22日(土曜日)
- ↑ 74.0 74.1 官報第4448号 明治31年5月2日(月曜日)
- ↑ 75.0 75.1 官報第4743号 明治32年4月27日(木曜日)
- ↑ 76.0 76.1 官報第4984号 明治33年2月15日(木曜日)
- ↑ 77.0 77.1 官報第5099号 明治33年7月3日(火曜日)
- ↑ 78.0 78.1 官報第5265号 明治34年5月24日(金曜日)
- ↑ 79.0 79.1 79.2 官報第5811号 明治35年11月15日(土曜日)
- ↑ 80.0 80.1 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 81.0 81.1 官報第6599号 明治38年6月30日(金曜日)
- ↑ 82.0 82.1 官報第6812号 明治39年3月17日(土曜日)
- ↑ 83.0 83.1 官報第7274号 明治40年9月26日(木曜日)
- ↑ 84.0 84.1 官報第7333号 明治40年12月6日(金曜日)
- ↑ 85.0 85.1 官報第93号 昭和2年4月23日(土曜日)
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