第8陸軍航空技術研究所
(陸軍航空技術研究所第8部から転送)
第8陸軍航空技術研究所(第八陸軍航空技術研究所)は、航空衛生および航空心理に関する研究、並びにその関連兵器の研究などを行った陸軍航空技術研究所。航空衛生に関する調査・研究は昭和12年8月から陸軍航空技術研究所で行われ、昭和15年7月より陸軍航空技術研究所第8部となる。昭和17年10月15日第8陸軍航空技術研究所として独立。立川に本部を置き、新潟出張所・ 由木出張所を開設した。
陸軍航空技術研究所長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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陸軍航空技術研究所第8部長 | ||||
青木九一郎 軍少将 | 昭和15年8月1日 | 昭和16年11月6日 | 南方軍軍医部長 | 昭和16年10月15日陸軍軍医中将進級 |
四十宮龍藏 軍少将 | 昭和16年11月6日 | 昭和17年10月15日 | 第8陸軍航空技術研究所長 | |
第8陸軍航空技術研究所長 | ||||
四十宮龍藏 軍少将 | 昭和17年10月15日 | 昭和18年7月20日 | 第4航空軍軍医部長 | |
渡邊甲一 軍少将 | 昭和18年7月20日 | 昭和20年8月22日 | 陸軍省人事局附 | 陸軍航空審査部部員を兼ねる 昭和20年3月1日陸軍軍医中将進級 |
河野清吾 軍大佐 | 昭和20年8月22日 |
所員
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)平井正民 軍大佐 | 昭和17年10月15日 | 昭和20年6月21日 | 陸軍軍医学校幹事 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 昭和20年6月10日陸軍軍医少将進級 |
森村鹿之助 軍大佐 | 昭和18年3月1日 | 昭和19年2月14日 | 第1航空軍軍医部長 | |
(兼)細谷 清 軍大佐 | 昭和18年8月2日 | 昭和19年3月22日 | 南方第1陸軍病院長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 |
平田欽逸 軍少佐 | 昭和19年5月11日 | 独立第110教育飛行団司令部附 | 陸軍航空適性検査部部員を兼ねる | |
(兼)羽生田 潔 軍中佐 | 昭和19年6月26日 | 柏陸軍病院長 | 陸軍軍医学校教官の兼勤 | |
田所吉輝 軍少佐 | 昭和19年10月12日 | 第30戦闘飛行集団司令部附 | 陸軍軍医学校教官を兼ねる | |
西本禎夫 軍少佐 | 昭和19年12月11日 | 陸軍航空審査部部員 | 明野教導飛行師団司令部附の兼勤 昭和19年11月16日専補 | |
下田正夫 軍少佐 | 昭和19年3月30日 | 陸軍挺進練習部研究部部員を兼ねる | ||
木下 仁 軍少佐 | 昭和19年3月30日 | |||
早川藤三郎 軍少佐 | 昭和19年3月30日 | |||
(兼)淺井利勇 軍少佐 | 昭和19年5月13日 | 国府台陸軍病院附の兼勤 | ||
岩村愛吉 軍少佐 | 昭和19年12月21日 | |||
亀田信夫 軍少佐 | 昭和19年12月21日 | |||
天草靖夫 軍少佐 | 昭和19年12月21日 | |||
河野清吾 軍中佐 | 昭和19年時点 | 陸軍軍医学校部員 昭和19年3月3日専補 陸軍軍医学校教官を兼ねる 陸軍大学校教官を兼ねる 陸軍航空審査部部員を兼ねる 昭和19年8月1日陸軍軍医大佐進級 | ||
大川 清 軍少佐 | 昭和19年時点 | 陸軍航空適性検査部部員を兼ねる 昭和19年6月5日陸軍航空適性検査部部員の兼勤 | ||
友成淑夫 軍少佐 | 昭和19年時点 | 鉾田陸軍飛行学校附の兼勤 昭和19年4月20日専補 |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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河野清吾 軍大佐 | 昭和20年8月22日 | 第8陸軍航空技術研究所長 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第24号 昭和19年2月7日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120902100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第89号 昭和19年5月13日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120909200