香川富太郎
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- かがわ とみたろう
- 香川富太郎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 草創期
- 広島県
- 嘉永6年8月23日 - 昭和12年12月17日
経歴
嘉永6年8月23日 | 生 |
明治10年4月15日 | 任陸軍少尉[1] |
明治13年5月6日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治17年5月31日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治25年4月28日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治31年7月7日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治32年8月16日 | 陸軍省軍務局歩兵課長 |
明治34年3月21日 | 歩兵第48聯隊長 |
明治34年11月3日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治38年1月14日 | 陸軍少将・歩兵第24旅団長 |
明治40年11月13日 | 歩兵第35旅団長 |
明治41年9月30日 | 歩兵第11旅団長 |
明治44年9月6日 | 任陸軍中将 予備被仰付[2] |
明治44年9月7日 | 後備役[2] |
大正2年2月1日 | 私立修道中学校理事 |
昭和12年12月17日 | 卒去 |
栄典
明治17年6月30日 | 叙正七位[3] |
明治18年11月19日 | 勲五等双光旭日章[4] |
明治25年4月9日 | 叙従六位[5] |
明治26年11月29日 | 勲四等瑞宝章[6] |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 (明治二十七八年戦役の功)[7] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[8] |
明治30年7月10日 | 叙正六位[9] |
明治33年11月30日 | 勲三等瑞宝章[10] |
明治34年12月28日 | 賜金650円 (明治三十三年清国事変の功)[11] |
明治35年2月20日 | 叙従五位[12] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[13] |
明治38年2月18日 | 叙正五位[14] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[15] |
明治42年9月8日 | 大韓帝国勲一等八卦章佩用允許[16] |
明治43年3月22日 | 叙従四位[17] |
明治43年6月6日 | 大韓帝国韓国皇帝南西巡幸紀念章佩用允許[18] |
明治44年9月30日 | 叙正四位(特旨)[19] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[20] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第342号 明治17年8月18日(月曜日)
- ↑ 官報第753号 明治19年1月8日(金曜日)
- ↑ 官報第2632号 明治25年4月11日(月曜日)
- ↑ 官報第3131号 明治26年12月5日(火曜日)
- ↑ 官報第3671号 明治28年9月21日(土曜日)
- ↑ 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第5874号 明治36年2月4日(水曜日)
- ↑ 官報第6499号 明治38年3月3日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7868号 明治42年9月14日(火曜日)
- ↑ 官報第8021号 明治43年3月23日(水曜日)
- ↑ 官報第8101号 明治43年6月24日(金曜日)
- ↑ 官報第8486号 明治44年10月2日(月曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)