鶴淵仙助
ナビゲーションに移動
検索に移動
- つるぶち せんすけ
- 鶴淵仙助
- 陸軍主計中将正四位勲二等功五級
- 経理部
- 群馬県
- 明治1年7月27日 -
経歴
明治1年7月27日 | 生[1] |
明治29年12月28日 | 任陸軍三等軍吏[2] |
明治33年11月21日 | 任陸軍二等軍吏[2] |
明治35年8月30日 | 任陸軍二等副監督(転科)[2] |
明治36年11月18日 | 任陸軍一等副監督[2] |
明治36年12月1日 | 陸軍一等主計(階級呼称変更)[2] |
明治41年12月21日 | 任陸軍三等主計正[2] |
大正1年11月30日 | 任陸軍二等主計正[2] |
大正4年8月10日 | 青島守備軍経理部長被仰付[3] |
大正5年8月18日 | 任陸軍一等主計正 補陸軍省経理局主計課長[3] |
大正8年4月21日 | 青島守備軍経理部長 |
大正9年9月15日 | 任陸軍主計監 任千住製絨所長 叙高等官二等[4] |
大正13年12月15日 | 任陸軍主計総監[1]・待命 |
大正13年12月20日 | 予備役[1] |
昭和6年4月1日 | 後備役[1] |
昭和12年2月15日 | 陸軍主計中将(階級呼称変更) |
栄典
明治28年10月31日 | 勲八等白色桐葉章 賜金50円 (明治二十七八年戦役の功)[5] |
明治30年3月1日 | 叙正八位[6] |
明治30年11月25日 | 勲七等瑞宝章[7] |
明治31年11月24日 | 勲六等瑞宝章[8] |
明治34年2月28日 | 叙従七位[9] |
明治37年2月19日 | 叙正七位[10] |
明治37年11月29日 | 勲五等瑞宝章[11] |
明治45年時点 | 従六位 功五級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章[12] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[13] |
大正2年1月30日 | 叙正六位[14] |
大正4年1月30日 | 勲三等瑞宝章[15] |
大正5年9月11日 | 叙従五位[16] |
大正9年時点 | 勲三等旭日中綬章[2] |
大正9年10月11日 | 叙正五位[17] |
大正9年11月1日 | 賜金2900円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[18] 戦捷記章[19] |
大正11年11月30日 | 勲二等瑞宝章[20] |
大正14年1月19日 | 叙正四位(特旨)[21] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[22] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- ↑ 官報第3705号 明治28年11月2日(土曜日)
- ↑ 官報第4096号 明治30年3月2日(火曜日)
- ↑ 官報第4323号 明治30年11月27日(土曜日)
- ↑ 官報第4625号 明治31年11月29日(火曜日)
- ↑ 官報第5295号 明治34年3月1日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第150号 大正2年1月31日(金曜日)
- ↑ 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1236号 大正5年9月12日(火曜日)
- ↑ 官報第2360号 大正9年10月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3102号 大正11年12月2日(土曜日)
- ↑ 官報第3723号 大正14年1月22日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)