鹽屋方國
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- しおや かたくに
- 鹽屋方國[1]
- 陸軍中将正四位勲一等功三級
- 砲兵
- 石川県
- 嘉永2年12月 - 大正3年11月11日
経歴
嘉永2年12月 | 生 |
明治6年5月31日 | 任陸軍中尉 |
明治16年9月8日 | 任陸軍砲兵中佐 |
明治20年11月17日 | 広島鎮台参謀長 |
明治21年5月14日 | 第5師団参謀長 |
明治22年11月16日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治25年2月3日 | 陸軍大学校長 |
明治27年8月30日 | 陸軍少将 |
明治27年8月31日 | 第1軍兵站監 |
明治28年6月24日 | 陸軍大学校長事務取扱被仰付 |
明治28年7月22日 | 要塞砲兵監 |
明治29年1月27日 | 陸軍大学校長事務取扱被免[2] |
明治29年10月14日 | 補威海衛占領軍司令官兼歩兵第2旅団長 |
明治30年5月1日 | 専補歩兵第2旅団長[3] |
明治31年3月3日 | 対馬警備隊司令官 |
明治32年3月13日 | 陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
明治35年5月5日 | 予備役 |
大正3年11月11日 | 卒去 |
栄典
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治23年1月17日 | 叙従五位 |
明治27年10月10日 | 叙正五位 |
明治28年8月20日 | 功三級金鵄勲章 勲二等瑞宝章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治35年6月30日 | 叙正四位(特旨) |
明治39年4月1日 | 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[4][5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3596号 明治28年6月26日(水曜日)
- 官報第3992号 明治29年10月16日(金曜日)
- ↑ 明治35年予備役停年名簿では「圀」ではなく「國」、官報も同様。
- ↑ 官報第3773号 明治29年1月29日(水曜日)
- ↑ 官報第4147号 明治30年5月3日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ この時「正四位勲二等功三級」