黒木爲楨
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- くろき ためもと
- 黒木爲楨
- 陸軍大将従一位勲一等功一級伯爵
- 歩兵
- 鹿児島県
- 天保15年3月16日 - 大正12年2月4日
経歴
天保15年3月16日 | 生 |
明治4年7月25日 | 任陸軍大尉(初任) |
明治5年8月3日 | 任陸軍少佐 |
明治8年2月20日 | 任陸軍中佐・歩兵第12聯隊長 |
明治11年11月21日 | 任陸軍大佐[1] |
明治12年1月4日 | 近衛歩兵第2聯隊長 |
明治15年2月8日 | 中部監軍部参謀 |
明治16年2月6日 | 参謀本部管東局長 |
明治18年5月21日 | 任陸軍少将・歩兵第5旅団長 |
明治23年7月25日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
明治26年11月10日 | 任陸軍中将・第6師団長 |
明治28年1月1日 | 日清戦争出征 |
明治29年10月14日 | 近衛師団長 |
明治30年10月27日 | 西部都督 |
明治36年1月13日 | 中部都督事務取扱 |
明治36年11月3日 | 陸軍大将 |
明治37年1月14日 | 軍事参議官 |
明治37年2月5日 | 第1軍司令官 |
明治39年1月12日 | 軍事参議官 |
明治42年3月16日 | 後備役 |
大正3年4月1日 | 退役 |
大正6年4月27日 | 枢密顧問官 |
大正12年2月4日 | 薨去 |
栄典
明治18年4月7日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治26年5月26日 | 勲二等瑞宝章 |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 授旭日重光章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年5月31日 | 勲一等瑞宝章 |
明治35年8月20日 | 叙正三位 |
明治38年5月30日 | 授旭日大綬章 |
明治39年4月1日 | 功一級金鵄勲章(年金1500円) 授旭日桐花大綬章 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治40年8月30日 | 叙従二位 |
明治40年9月21日 | 伯爵 |
大正3年4月30日 | 叙正二位(特旨)[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正9年9月7日 | 金杯一組 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年事件ノ功)[5] |
大正12年2月4日 | 薨去 叙従一位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 官報第3933号 明治29年8月7日(金曜日)
- 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- 官報第503号 大正3年4月6日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に12月2日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2431号 大正9年9月8日(水曜日)