齋藤力三郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
- さいとう りきさぶろう
- 齋藤力三郎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒4 陸大5
- 千葉県
- 文久1年9月5日 - 大正4年5月26日
経歴
文久1年9月5日 | 生 |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期) |
明治37年3月19日 | 韓国駐箚軍参謀長 |
明治37年9月23日 | 第11師団参謀長 |
明治38年3月1日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治40年12月8日 | 歩兵第9聯隊長 |
明治42年1月28日 | 陸軍少将・歩兵第25旅団長 |
明治45年4月24日 | 歩兵第1旅団長 |
大正2年5月11日 | 教育総監部本部長 |
大正3年5月11日 | 陸軍中将 |
大正3年11月26日 | 第18師団長 |
大正4年5月26日 | 死去 |
栄典
明治18年7月25日 | 叙従七位[1] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
明治25年3月28日 | 叙正七位[3] |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章[4] |
明治28年10月19日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 単光旭日章[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[6] |
明治30年4月1日 | 賜金200円(台湾地方に於いて軍務に服し其功不少)[7] |
明治30年7月10日 | 叙従六位[8] |
明治32年5月9日 | 勲五等瑞宝章[9] |
明治34年12月28日 | 賜金130円(明治三十三年清国事変に於ける功)[10] |
明治35年10月20日 | 叙正六位[11] |
明治37年11月29日 | 勲四等瑞宝章[12] |
明治38年2月27日 | 大韓帝国勲三等太極章佩用允許[13] |
明治38年4月7日 | 叙従五位[14] |
明治42年4月20日 | 叙正五位[15] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲一等八卦章佩用允許[16] |
大正3年4月30日 | 叙従四位[17] |
大正3年11月30日 | 勲二等瑞宝章[18] |
大正4年5月26日 | 叙正四位(特旨)[19] 賜金800円(大正三年戦役の功)[20] 大正三四年従軍記章[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第677号 明治18年10月1日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第2621号 明治25年3月29日(火曜日)
- ↑ 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 官報第3694号 明治28年10月21日(月曜日)
- ↑ 官報第3824号 明治29年4月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4149号 明治30年5月5日(水曜日)
- ↑ 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第4754号 明治32年5月10日(水曜日)
- ↑ 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報第6502号 明治38年3月7日(火曜日)
- ↑ 官報第6531号 明治38年4月12日(水曜日)
- ↑ 官報第7743号 明治42年4月21日(水曜日)
- ↑ 官報第8360号 明治44年5月8日(月曜日)
- ↑ 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 官報第700号 大正3年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第844号 大正4年5月27日(木曜日)
- ↑ 官報第847号 大正4年5月31日(月曜日)
- ↑ 官報第1022号 大正4年12月27日(月曜日)