齋藤干城
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- さいとう かんじょう
- 齋藤干城
- 陸軍軍医中将
- 衛生部
- 鳥取県
- 明治18年12月13日 - 昭和23年5月18日
経歴
明治18年12月13日 | 生 |
大正1年 | 九州帝国大学医学部卒業 |
大正2年6月28日 | 任陸軍二等軍医(初任) |
大正11年4月1日 | 任陸軍三等軍医正 |
大正14年8月7日 | 任陸軍二等軍医正 |
昭和3年8月10日 | 浜田衛戍病院長兼歩兵第21聯隊附 |
昭和5年3月6日 | 陸軍一等軍医正・豊橋衛戍病院長 |
昭和6年8月1日 | 名古屋衛戍病院長 |
昭和7年12月7日 | 第12師団軍医部長 |
昭和9年8月1日 | 第3師団軍医部長 |
昭和9年12月10日 | 陸軍軍医監 |
昭和10年8月1日 | 第5師団軍医部長 |
昭和13年3月1日 | 関東軍軍医部長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍軍医中将 |
昭和14年12月1日 | 待命 |
昭和14年12月28日 | 予備役 |
昭和18年8月 | 鳥取県米子市長(~昭和20年11月) |
昭和23年5月18日 | 死去 |
栄典
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[1] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)