一木與十郎
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- いちき よじゅうろう
- 一木與十郎
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候10 陸大20
- 東京都
- 明治9年9月9日 -
経歴
明治9年9月9日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年8月3日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治41年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第20期) |
基隆要塞参謀 | |
大正3年5月11日 | 補下関要塞参謀 |
大正5年11月15日 | 任陸軍砲兵中佐 補澎湖島重砲兵大隊長 |
大正7年6月1日 | 補陸軍重砲兵射撃学校教官 |
大正7年7月24日 | 補陸軍重砲兵射撃学校教育部長[1] |
大正7年8月20日 | 兼陸軍技術審査部議員[2](~大正8年4月15日廃止) |
大正9年6月18日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正12年8月6日 | 野砲兵第8聯隊長 |
大正13年2月4日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第3旅団長 |
大正13年12月15日 | 待命 |
大正13年12月20日 | 予備役 |
昭和6年10月3日 | 神奈川県高座郡藤沢町長(~昭和9年3月1日) |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役[3] |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治39年9月8日 | 大韓帝国勲四等太極章佩用允許 |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[4] |
大正11年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正13年3月29日 | 叙正五位 |
大正14年1月19日 | 叙従四位(特旨)[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6964号 明治39年9月13日(木曜日)
- 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報第2948号 大正11年6月1日(木曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報第3501号 大正13年4月28日(月曜日)
- 官報第2490号 昭和10年4月24日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正9年6月18日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1816号 大正7年8月21日(水曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第3723号 大正14年1月22日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)