下條士津會
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- しもじょう しづゑ
- 下條士津會
- 陸軍大佐正五位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候5
- 福島県
- 明治6年5月15日 -
経歴
明治6年5月15日 | 生[1] |
明治25年12月 | 陸軍士官学校入 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年10月25日 | 任陸軍砲兵中尉[2] |
明治33年11月12日 | 任陸軍砲兵大尉[2] |
明治38年5月2日 | 任陸軍砲兵少佐[3][2] |
明治39年3月27日 | 補野砲兵第13聯隊附[4] |
明治39年5月24日 | 補野砲兵第3聯隊大隊長[5] |
明治42年6月5日 | 補野砲兵第4聯隊附[6] |
大正2年1月7日 | 補広島陸軍兵器支廠長[7] |
大正2年1月15日 | 任陸軍砲兵中佐[8][2] |
大正2年8月22日 | 補東京陸軍兵器支廠長[9] |
大正4年2月15日 | 補野砲兵第23聯隊附[10] |
大正4年8月10日 | 補野砲兵第22聯隊長[11] |
大正5年11月15日 | 任陸軍砲兵大佐[1] 待命被仰付[12] |
大正6年4月1日 | 予備役[1] |
昭和4年4月1日 | 後備役[1] |
昭和8年4月1日 | 退役[13] |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正八位[14] |
明治28年10月12日 | 勲六等単光旭日章 賜金150円 (明治二十七八年戦役の功)[15] |
明治30年12月15日 | 叙従七位[16] |
明治34年2月28日 | 叙正七位[17] |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章[18] |
明治38年5月24日 | 叙従六位[19] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[20] |
明治43年7月11日 | 叙正六位[21] |
大正4年1月30日 | 勲三等瑞宝章[22] |
大正4年8月10日 | 叙従五位[11] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[23] |
大正6年4月30日 | 叙正五位(特旨)[24] |
大正7年6月18日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許[25] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[26] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第6549号 明治38年5月3日(水曜日)
- ↑ 官報第6820号 明治39年3月28日(水曜日)
- ↑ 官報第6869号 明治39年5月25日(金曜日)
- ↑ 官報第7783号 明治42年6月7日(月曜日)
- ↑ 官報第130号 大正2年1月8日(水曜日)
- ↑ 官報第137号 大正2年1月16日(木曜日)
- ↑ 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- ↑ 官報第1909号 昭和8年5月16日(火曜日)
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)
- ↑ 官報第3689号 明治28年10月14日(月曜日)
- ↑ 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第5295号 明治34年3月1日(金曜日)
- ↑ 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- ↑ 官報第6586号 明治38年6月15日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- ↑ 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- ↑ 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1311号 大正5年12月14日(木曜日)
- ↑ 官報第1426号 大正6年5月5日(土曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)
- ↑ 官報第3112号 大正11年12月14日(木曜日)