中屋則哲
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- なかや のりあき
- 中屋則哲
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候3 陸大15
- 高知県
- 慶応3年6月13日 - 昭和5年4月28日
経歴
慶応3年6月13日 | 生 |
海南学校 | |
明治25年7月23日 | 陸軍士官学校卒業(士候3) |
明治26年3月13日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治34年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第15期) |
明治45年4月26日 | 陸軍省人事局補任課長 |
兼陸軍技術審査部議員 文官普通試験委員 官国幣社神職高等試験委員 | |
大正1年9月28日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正3年8月10日 | 補近衛歩兵第3聯隊長[1] |
大正4年8月10日 | 参謀本部庶務課長 |
大正6年8月6日 | 陸軍少将・歩兵第5旅団長 |
大正8年4月1日 | 第14師団司令部附 |
大正10年1月15日 | 独立守備隊司令官 |
大正10年7月20日 | 任陸軍中将[2] |
大正11年5月10日 | 待命 |
大正11年8月8日 | 予備役[2] |
昭和5年4月1日 | 後備役 |
昭和5年4月28日 | 死去 |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[4] |
大正6年8月30日 | 叙正五位[5] |
勲二等瑞宝章 | |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金3900円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] 戦捷記章[7] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[8] |
昭和3年時点 | 正四位[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第997号 昭和5年4月30日(水曜日)