中村次喜藏
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- なかむら じきぞう
- 中村次喜藏
- 陸軍中将功三級
- 歩兵
- 士候24
- 東京都
- 明治22年4月18日 - 昭和20年8月18日自決
経歴
明治22年4月18日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
昭和13年3月1日 | 任陸軍歩兵大佐・陸軍予科士官学校学生隊長 |
昭和14年8月1日 | 歩兵第124聯隊長 |
昭和15年12月2日 | 奉天陸軍予備士官学校長 |
昭和16年3月1日 | 陸軍少将 |
昭和16年8月1日 | 久留米第1陸軍予備士官学校長 |
昭和18年3月1日 | 独立混成第19旅団長 |
昭和19年6月27日 | 陸軍中将 |
昭和19年7月8日 | 補東部軍司令部附 |
昭和19年7月14日 | 補第112師団長(親補) |
昭和20年8月18日 | 琿春で自決 |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[1] |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲六等単光旭日章 大正三四年従軍記章[2] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[3] |
昭和3年5月29日 | ポーランド国ダルシャン・ヴィルッチ・ミリタリ勲章佩用允許 |
功三級金鵄勲章 | |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和17年9月8日 | 勲二等瑞宝章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3346号 昭和13年3月2日(水曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第133号 昭和19年7月10日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第136号 昭和19年7月14日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914400
- 官報第427号 昭和3年6月1日(金曜日)