久能司

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  • くのう つかさ
  • 久能 司
  • 陸軍中将従四位勲三等功四級
  • 歩兵
  • 士官生徒5
  • 福井県
  • 文久1年12月11日 - 昭和14年4月18日

経歴

文久1年12月11日
明治15年12月25日 陸軍歩兵少尉
明治19年5月26日 陸軍歩兵中尉
明治27年6月9日 陸軍歩兵大尉
明治31年10月1日 陸軍歩兵少佐
明治36年12月9日 陸軍歩兵中佐
明治36年12月9日 神戸聯隊区司令官[1]
明治37年9月5日 歩兵第10聯隊
明治37年10月11日 戦傷
明治38年5月13日 歩兵第39聯隊[2]
明治39年12月14日 陸軍歩兵大佐
明治41年3月18日 陸軍中央幼年学校
明治43年11月30日 陸軍少将歩兵第18旅団
明治45年3月5日 歩兵第19旅団
大正2年3月4日 臨時朝鮮派遣隊司令官
大正4年2月15日 待命
大正4年3月12日 陸軍中将
依願予備役被仰付
大正6年 社団法人日本体育会副会長・日本体育会体操学校
大正7年 財団法人帝国飛行協会理事
大正9年4月1日 後備役
昭和3年4月1日 退役
昭和14年4月18日 死去

栄典

明治40年2月12日 従五位
明治42年11月25日 清国二等第二双龍宝星佩用允許
明治42年12月10日 ロシア帝国聖スタニスラス星章附第二等勲章佩用允許
明治44年2月10日 正五位
大正4年4月20日 従四位(特旨)
大正7年6月18日 中華民国二等文虎勲章佩用允許

出典

  1. 1.0 1.1 戦時職務としての発令か
  2. 2.0 2.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では明治38年5月13日、明治39年3月16日官報では明治39年3月15日。明治38年5月13日は戦時職務としての任用か