井上仁郎
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- いのうえ にろう
- 井上仁郎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 工兵
- 士官生徒7
- 愛媛県
- 元治1年5月24日 - 大正9年1月1日
経歴
- 愛媛県士族井上渡の二男
- 兄に陸軍中佐井上亨
- 妻ヨシは山口県士族井上太郎長女
- 長男井上征夫は陸軍大佐、二男寅二郎は井上太郎養子
- 長女淨子は早稲田大学教授安井武雄に嫁す
- 二女知惠・三女彌生・四男晃・六男寬
元治1年5月24日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍工兵少尉 |
鉄道大隊附兼工兵会議議員 | |
明治32年12月25日 | 補工兵監部部員(兼職如故) 鉄道大隊御用掛兼勤ヲ命ス[1] |
明治34年2月19日 | 補鉄道大隊長(兼職如故) 教育総監部御用掛兼勤ヲ命ス 鉄道大隊参謀本部及東京陸軍兵器本廠御用掛兼勤ヲ免ス[2] |
明治35年11月15日 | 任陸軍工兵中佐[3] |
明治36年6月9日 | 陸軍技術審査部御用掛兼勤ヲ命ス[4] |
明治38年3月1日 | 任陸軍工兵大佐[5] |
明治39年7月11日 | 補陸軍省軍務局工兵課長[6] |
明治40年5月10日 | 臨時建築委員ヲ命ス[7] |
明治42年8月28日 | 臨時軍用気球研究会委員被仰付[8] |
明治43年11月29日 | 臨時建築委員ヲ免ス 陸軍技術審査部御用掛兼勤ヲ免ス[9] |
明治43年11月30日 | 任陸軍少将 補交通兵旅団長[9] |
明治43年12月5日 | 臨時軍用気球研究会御用掛兼勤被仰付[10] |
明治45年4月20日 | 臨時軍用気球研究会御用掛兼勤被免 臨時軍用気球研究会委員被仰付[11] |
大正4年1月30日 | 補交通兵団長[12] |
大正4年2月15日 | 任陸軍中将[13] |
大正5年3月31日 | 臨時軍用気球研究会委員被免 臨時軍用気球研究会長被仰付[14] |
大正5年8月18日 | 補下関要塞司令官 臨時軍用気球研究会長被免[15] |
大正5年9月16日 | 臨時軍用気球研究会御用掛被仰付[16] |
大正6年8月6日 | 待命被仰付[17] |
大正6年12月1日 | 予備役被仰付[18] |
大正9年1月1日 | 卒去[19][20] |
栄典
明治36年2月20日 | 叙正六位[21] |
明治38年1月26日 | 大韓帝国勲三等太極章佩用允許[22] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[23] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[24] |
大正4年3月10日 | 叙従四位[25] |
大正4年8月28日 | 勲二等瑞宝章[26] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[27] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[27] |
大正6年12月28日 | 叙正四位(特旨)[28] |
大正9年1月6日 | 葬送ニ付勅使トシテ德川義恕差遣、幣帛下賜 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 官報第4947号 明治32年12月26日(火曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第5287号 明治34年2月20日(水曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第5812号 明治35年11月17日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第5980号 明治36年6月10日(水曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第6499号 明治38年3月3日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第6911号 明治39年7月13日(金曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第7157号 明治40年5月11日(土曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第7855号 明治42年8月30日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第8238号 明治43年12月6日(火曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第8649号 明治45年4月22日(月曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第1099号 大正5年4月4日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第1241号 大正5年9月18日(月曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1601号 大正6年12月3日(月曜日)
- ↑ 19.0 19.1 大日本人名辞書 上卷 新版
- ↑ 20.0 20.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正8年1月1日とあるのは誤り。
- ↑ 21.0 21.1 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第6477号 明治38年2月4日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第780号 大正4年3月11日(木曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第924号 大正4年8月30日(月曜日)
- ↑ 27.0 27.1 27.2 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第1624号 大正6年12月29日(土曜日)