井口省吾
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- いぐち しょうご
- 井口省吾
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 砲兵
- 士官生徒2 陸大1
- 静岡県
- 安政2年8月10日 - 大正14年3月4日
経歴
安政2年8月10日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治16年4月12日 | 陸軍大学校入学 |
明治18年12月24日 | 陸軍大学校卒業(第1期) |
明治27年9月25日 | 第2軍参謀(作戦主任) |
明治28年5月25日 | 陸軍大学校教官 |
明治29年5月13日 | 参謀本部第2部部員 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍大学校教頭 |
明治34年3月13日 | 陸軍省軍務局砲兵課長 |
明治34年4月8日 | 兼陸軍省軍務局軍事課長 |
明治34年7月5日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
明治35年5月5日 | 陸軍少将・参謀本部総務部長 |
明治37年6月20日 | 満洲軍参謀(兵站) |
明治38年4月27日 | 兼遼東兵站監 |
明治39年2月6日 | 陸軍大学校長 |
明治42年8月1日 | 陸軍中将 |
大正1年11月27日 | 第15師団長 |
大正4年1月25日 | 朝鮮駐箚軍司令官 |
大正5年8月18日 | 軍事参議官 |
大正5年11月16日 | 陸軍大将 |
大正9年8月10日 | 後備役 |
大正14年3月4日 | 薨去 |
栄典
明治13年2月28日 | 叙正八位 |
明治15年6月1日 | 叙従七位 |
明治18年7月25日 | 叙正七位 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年7月15日 | 叙正六位 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治35年9月20日 | 叙正五位 |
明治35年11月29日 | 勲四等瑞宝章 |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[1] |
明治40年10月11日 | 叙従四位 |
大正1年11月20日 | 叙正四位 |
大正3年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[2] |
大正4年12月20日 | 叙従三位 |
大正8年1月10日 | 叙正三位 |
大正8年2月27日 | 授旭日大綬章 |
大正9年4月9日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許 |
大正9年9月20日 | 叙従二位 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第94号 大正1年11月21日(木曜日)
- 官報第2306号 大正9年4月13日(火曜日)