仁田原重行
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- にたはら しげゆき
- 仁田原重行
- 陸軍大将従二位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大4
- 福岡県
- 文久2年10月2日 - 大正14年3月24日
経歴
文久2年10月2日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治19年1月19日 | 陸軍大学校入学 |
明治21年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第4期) |
明治34年7月5日 | 留守第5師団参謀長 |
明治35年5月5日 | 陸軍歩兵大佐・第5師団参謀長 |
明治38年4月8日 | 陸軍少将・歩兵第7旅団長 |
明治42年4月1日 | 独立守備隊司令官 |
明治44年9月6日 | 歩兵第1旅団長 |
明治45年2月27日 | 陸軍中将・第2師団長 |
大正4年2月15日 | 第4師団長 |
大正5年8月18日 | 近衛師団長 |
大正6年8月6日 | 東京衛戍総督 |
大正7年7月2日 | 陸軍大将・軍事参議官 |
大正10年7月15日 | 予備役 |
大正14年3月24日 | 薨去 |
栄典
明治17年2月9日 | 叙正八位 |
明治22年7月15日 | 叙従七位 |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年5月25日 | 功四級金鵄勲章 勲六等瑞宝章 |
明治32年5月20日 | 叙正六位 |
明治34年10月1日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[1] |
明治35年9月20日 | 叙従五位 |
明治38年5月11日 | 叙正五位 |
明治38年11月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治43年6月11日 | 叙従四位 |
明治45年7月1日 | 叙正四位 |
大正1年11月21日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年7月20日 | 叙従三位[3] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[4] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正7年10月10日 | 叙正三位 |
大正8年1月28日 | 勲一等旭日大綬章 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正10年8月10日 | 叙従二位(特旨)[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 仁田原重行 - Wikipedia