伊丹松雄
ナビゲーションに移動
検索に移動
- いたみ まつお
- 伊丹松雄
- 陸軍中将従三位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候7 陸大16
- 岡山県
- 明治8年9月22日 - 昭和33年6月23日
経歴
明治8年9月22日 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第16期) |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治44年11月22日 | 陸軍大学校兵学教官 |
明治45年6月29日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正2年11月15日 | アメリカ大使館附武官 |
大正5年1月21日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
大正5年8月18日 | 歩兵第29聯隊長 |
大正7年7月24日 | 第4師団参謀長 |
大正7年9月17日 | 参謀本部外国戦史課長 |
大正7年11月20日 | 参謀本部欧米課長 |
大正8年7月25日 | 任陸軍少将[1]・イギリス大使館附武官 |
大正11年2月8日 | 参謀本部第2部長[2] |
大正13年8月20日 | 陸軍中将 |
大正13年10月3日 | 兼補陸軍大学校兵学教官[3][2] |
大正14年5月1日 | 補第9師団長(親補)[2] |
昭和2年7月26日 | 待命 |
昭和2年9月1日 | 予備役 |
昭和8年 | 明倫会理事 |
昭和13年4月1日 | 後備役 |
昭和33年6月23日 | 薨去 |
栄典
明治36年10月10日 | 叙正七位[4] |
明治40年12月27日 | 叙従六位[5] |
大正1年9月30日 | 叙正六位[6] |
大正2年5月31日 | 勲四等瑞宝章[7] |
大正5年3月31日 | 叙従五位[8] |
大正9年時点 | 正五位 勲三等旭日中綬章 功四級金鵄勲章 イタリア王冠勲章コンメンダトーレ[1] |
大正9年11月1日 | 勲二等旭日重光章 賜金2300円(大正三年乃至九年戦役ノ功)[9] 戦捷記章[10] |
大正11年1月29日 | 大英帝国ヴィクトリア勲章ナイトコマンダー佩用允許[11] |
大正12年10月29日 | 中華民国二等嘉禾章佩用允許[12] |
大正13年11月15日 | 叙従四位[13] |
大正14年11月21日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエ佩用允許[14] |
大正15年12月15日 | 叙正四位[15] |
昭和2年9月30日 | 叙従三位(特旨)[16] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[17] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[18] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3401号 昭和13年5月9日(月曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 官報第3636号 大正13年10月4日(土曜日)
- ↑ 官報第6085号 明治36年10月12日(月曜日)
- ↑ 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報第51号 大正1年10月1日(火曜日)
- ↑ 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- ↑ 官報第1098号 大正5年4月1日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2848号 大正11年2月1日(水曜日)
- ↑ 官報第3359号 大正12年11月2日(金曜日)
- ↑ 官報第3672号 大正13年11月18日(火曜日)
- ↑ 官報第3977号 大正14年11月26日(木曜日)
- ↑ 官報第4298号 大正15年12月20日(月曜日)
- ↑ 官報第236号 昭和2年10月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)