伏見宮貞愛親王
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- ふしみのみや さだなるしんのう
- 伏見宮貞愛親王
- 元帥陸軍大将大勲位功二級
- 歩兵
- 皇族
- 安政5年4月28日 - 大正12年2月4日
経歴
安政5年4月28日 | 誕生 |
明治6年11月25日 | 陸軍練習被仰付[1] |
明治8年1月23日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治11年8月29日 | 任陸軍大尉 |
明治14年11月3日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治17年11月3日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治20年4月28日 | 近衛歩兵第4聯隊長 |
明治20年11月3日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治22年 | 議定官 |
明治25年12月8日 | 任陸軍少将 補歩兵第4旅団長[2] |
明治28年11月26日 | 歩兵第1旅団長 |
明治31年10月1日 | 任陸軍中将・第10師団長 |
明治34年4月2日 | 第1師団長 |
明治37年2月6日 | 動員下令(日露戦争) |
明治37年6月28日 | 任陸軍大将 |
明治37年7月10日 | 大本営附 |
明治38年1月19日 | 軍事参議官[3] |
明治40年1月27日 | 遣英答礼大使 |
明治40年7月14日 | 帰朝 |
大正1年12月21日 | 内大臣府出仕(~大正3年4月23日[4]) |
大正4年1月9日 | 元帥府ニ列セラレ特ニ元帥ノ称号ヲ賜フ[5] |
大正4年5月1日 | 明治神宮造営局総裁被仰付 |
大正12年2月4日 | 薨去 |
栄典
明治8年12月31日 | 勲一等旭日大綬章 |
明治19年12月29日 | 大勲位菊花大綬章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治28年11月20日 | 功三級金鵄勲章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 明治三十七八年従軍記章[6] |
大正4年1月9日 | 元帥府ニ列セラレ特ニ元帥ノ称号ヲ賜フ |
大正4年11月7日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[7] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[8] |
大正5年1月19日 | 大勲位菊花章頸飾 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2836号 明治25年12月9日(金曜日)
- 官報号外 大正1年12月21日(土曜日)
- 官報号外 大正3年4月23日(木曜日)
- 官報第730号 大正4年1月11日(月曜日)
- 官報第823号 大正4年5月3日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治6年11月25日少尉とあるのは誤り。小松宮彰仁親王との混同か。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月26日とあるのは誤り。
- ↑ 元帥となった頃に退任。大正4年職員録には記載がなかった。
- ↑ NDLJP:2952617/14
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正3年1月9日とあるのは大正4年の誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)