佐藤子之助
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- さとう ねのすけ
- 佐藤子之助
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候11 陸大23
- 大分県
- 明治9年9月23日 - 昭和22年4月27日
経歴
明治9年9月23日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正10年6月3日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正10年7月20日 | 近衛歩兵第2聯隊長 |
大正11年8月15日 | 第1師団参謀長 |
大正12年2月1日 | 陸軍省人事局補任課長 |
大正14年5月1日 | 陸軍少将・陸軍大学校兵学教官 |
大正15年3月2日 | 歩兵第12旅団長 |
昭和2年7月26日 | 台湾軍参謀長 |
昭和5年4月24日 | 第16師団留守司令官 |
昭和5年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和6年8月1日 | 第7師団長 |
昭和8年8月1日 | 待命 |
昭和8年8月30日 | 予備役 |
昭和14年4月1日 | 後備役[1] |
昭和17年 | 大分県中津市長(~昭和21年) |
昭和22年4月27日 | 死去 |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位 |
明治36年2月20日 | 叙従七位 |
明治38年4月18日 | 叙正七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年6月11日 | 叙従六位 |
大正4年6月30日 | 叙正六位 |
大正6年12月24日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年7月20日 | 叙従五位 |
大正14年5月15日 | 叙正五位 |
昭和4年3月30日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和7年6月15日 | 叙正四位[2] |
昭和8年9月29日 | 叙従三位(特旨) |
昭和9年4月29日 | 勲一等瑞宝章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- 官報第6538号 明治38年4月20日(木曜日)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第8091号 明治43年6月13日(月曜日)
- 官報第874号 大正4年7月1日(木曜日)
- 官報第1620号 大正6年12月25日(火曜日)
- 官報第2391号 大正9年7月21日(水曜日)
- 官報第3858号 大正14年7月3日(金曜日)
- 官報第676号 昭和4年4月4日(木曜日)
- 官報第2032号 昭和8年10月7日(土曜日)