佐藤清勝
ナビゲーションに移動
検索に移動
- さとう きよかつ
- 佐藤清勝
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候9 砲工高10
- 広島県
- 明治10年3月4日 -
経歴
- 中村清の長男、陸軍少将佐藤正の養子
- 妻アキは手島兵次郎妹
- 長男信勝・二女スズ・三女ミホ・四女キヨミ
- 長女イツクは陸軍中佐松井麻之助に嫁す(陸軍中将松井庫之助養子)
- 著書に『満蒙問題と我大陸政策』(春秋社、昭和6年)・『満洲事変と新国家』(春秋社、昭和7年)
明治10年3月4日 | 生 |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第10期) |
大正4年2月15日 | 任陸軍砲兵中佐 |
陸軍技術審査部審査官兼陸軍兵器本廠検査官 | |
大正5年12月26日 | 兼補陸軍技術審査部議員 |
野砲兵第5聯隊附 | |
大正7年7月24日 | 補陸軍砲工学校教官 |
大正7年8月20日 | 兼陸軍技術審査部議員[1] |
大正8年1月15日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正8年3月19日 | 陸軍砲工学校附被仰付 |
大正10年5月4日 | 補野砲兵第6聯隊長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・陸軍科学研究所第1課長 |
大正14年5月1日 | 陸軍工科学校長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍技術本部附 |
昭和3年3月8日 | 陸軍中将・待命 |
昭和3年3月29日 | 予備役 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
大正13年9月1日 | フランス共和国三等レジオンドヌール勲章佩用允許[2] |
昭和3年3月8日 | 叙従四位[3] |
昭和3年4月21日 | 勲二等瑞宝章[4] |
昭和3年4月28日 | 叙正四位(特旨)[5] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- 官報第1322号 大正5年12月27日(水曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報. 1919年03月20日
- 官報第2626号 大正10年5月5日(木曜日)