佐野忠義
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- さの ただよし
- 佐野忠義
- 陸軍中将功四級
- 砲兵
- 士候23 陸大34
- 静岡県
- 明治22年3月7日 - 昭和20年7月3日戦病死
経歴
明治22年3月7日 | 生 |
明治44年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候23) |
明治44年12月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正8年12月1日 | 陸軍大学校入学 |
大正11年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第34期) |
昭和6年8月1日 | 任陸軍砲兵中佐 |
昭和10年3月15日 | 野砲兵第24聯隊長 |
昭和10年8月1日 | 任陸軍砲兵大佐 |
昭和10年12月2日 | 第12師団司令部附被仰付 |
昭和11年3月7日 | 野砲兵第20聯隊長 |
昭和12年8月2日 | 第14師団参謀長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和15年8月1日 | 陸軍野戦砲兵学校長 |
昭和16年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和16年6月20日 | 第38師団長(親補) |
昭和18年6月10日 | 補防衛総参謀長 |
昭和19年3月28日 | 補支那派遣軍総司令部附 |
昭和19年7月5日 | 補第34軍司令官(親補) |
昭和20年1月12日 | 補支那派遣軍総司令部附 |
昭和20年7月3日 | 戦病死 |
栄典
昭和8年10月5日 | 勲四等瑞宝章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第107号 昭和18年6月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120890900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第57号 昭和19年3月28日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120905700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター),第130号 昭和19年7月8日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120913500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第6号 昭和20年1月13日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120930700