勝田四方藏
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- しょうだ よもぞう
- 勝田四方藏
- 陸軍中将正三位勲一等功三級男爵
- 工兵
- 山口県華族
- 弘化2年11月20日 - 大正7年7月9日
経歴
弘化2年11月20日 | 生 |
明治5年3月15日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治5年8月23日 | 任陸軍大尉 |
明治10年6月7日 | 任陸軍少佐 |
明治17年3月3日 | 任陸軍工兵中佐・工兵第1方面提理 |
明治20年6月3日 | 工兵会議議長 |
明治20年11月16日 | 任陸軍工兵大佐 |
明治22年11月2日 | 工兵第2方面提理 |
明治27年9月25日 | 第2軍工兵部長(~明治27年10月9日) |
明治28年1月4日 | 任陸軍少将 |
明治28年4月6日 | 下関要塞司令官 |
明治30年10月23日 | 東京湾要塞司令官 |
明治32年3月13日 | 下関要塞司令官 |
明治33年4月25日 | 任陸軍中将 |
明治34年6月26日 | 休職 |
明治37年2月5日 | 留守第12師団長 |
明治39年2月13日 | 休職 |
明治40年3月2日 | 予備役 |
明治40年4月1日 | 後備役 |
明治45年4月1日 | 退役 |
大正7年7月9日 | 薨去[1] |
栄典
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
明治23年1月17日 | 叙従五位 |
明治28年2月28日 | 叙正五位 |
明治28年8月20日 | 功四級金鵄勲章 勲二等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治40年5月31日 | 叙正四位(特旨) |
明治40年9月21日 | 男爵 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[5] |
大正5年9月30日 | 叙従三位 |
大正7年7月8日 | 叙正三位(特旨) |
大正7年7月9日 | 薨去 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治44年7月1日調査
- 官報第8661号 明治45年5月6日(月曜日)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- ↑ この時「退役陸軍中将正三位勲一等功三級男爵」
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)