千秋直之
ナビゲーションに移動
検索に移動
- せんしゅう なおゆき
- 千秋直之
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 工兵
- 士官生徒7
- 福井県
- 文久3年5月22日 - 昭和19年4月
経歴
文久3年5月22日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治22年11月2日 | 任陸軍工兵中尉[1] |
明治26年11月8日 | 任陸軍工兵大尉[1] |
明治32年10月28日 | 任陸軍工兵少佐[1] |
明治36年11月18日 | 任陸軍工兵中佐[2][1] |
明治37年3月11日 | 韓国駐箚電信隊長 |
明治38年8月16日 | 韓国駐箚軍司令部附 |
明治38年8月29日 | 任陸軍工兵大佐[3][1] |
明治39年1月29日 | 臨時軍用鉄道監部部員 |
明治39年9月1日 | 野戦鉄道提理部附被仰付[4] |
明治40年3月15日 | 第12師団司令部附被仰付[5] |
明治40年4月20日 | 補臨時陸軍建築部小倉支部長[6] |
明治42年8月1日 | 陸軍運輸部本部長 |
大正1年8月3日 | 陸軍少将・澎湖島要塞司令官 |
大正3年8月8日 | 待命 |
大正3年11月1日 | 予備役 |
大正6年6月30日 | 福井県から東京府に族籍変更[7] |
昭和19年4月 | 卒去 |
栄典
明治37年2月19日 | 叙正六位[8] |
明治38年2月9日 | 大韓帝国勲三等太極章佩用允許[9] |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章[10] |
明治38年10月10日 | 叙従五位[11] |
明治43年12月10日 | 叙正五位[12] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[13] |
大正3年12月28日 | 叙従四位(特旨)[14] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[15] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[16] |
昭和19年4月7日 | 卒去ニ付幣帛ヲ下賜セラル[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第6116号 明治36年11月19日(木曜日)
- ↑ 官報第6651号 明治38年8月30日(水曜日)
- ↑ 官報第6969号 明治39年9月19日(水曜日)
- ↑ 官報第7111号 明治40年3月16日(土曜日)
- ↑ 官報第7140号 明治40年4月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1636号 大正7年1月18日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6484号 明治38年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第6627号 明治38年8月2日(水曜日)
- ↑ 官報第6688号 明治38年10月12日(木曜日)
- ↑ 官報第8243号 明治43年12月12日(月曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第724号 大正3年12月29日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第5168号 昭和19年4月8日(土曜日)