臨時陸軍建築部
(臨時陸軍建築部小倉支部から転送)
臨時陸軍建築部(りんじりくぐんけんちくぶ)は、臨時陸軍建築部官制(明治29年勅令第31号)に基づき設置された。臨時陸軍建築部は東京に置かれ、仙台・名古屋・大阪・広島・熊本に支部が置かれた。部内は部長・副部長・事務官・技師・技手・書記で構成された。
部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)原田良太郎 少将 | 明治30年10月4日 | 明治36年3月24日 | 在職中に死去 | 憲兵司令官の兼勤 騎兵監の兼勤 輜重兵監の兼勤 |
本部高級部員
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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梅地庸之丞 少将 | 明治40年5月1日 | 明治43年12月4日 | 後備役 |
東京支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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大内守靜 少佐 | 明治29年4月1日 | 明治33年4月1日 | 臨時陸軍建築部事務官 | 臨時陸軍建築部事務官を兼ねる |
仙台支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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小泉策郎 少佐 | 明治29年4月1日 | 明治29年11月5日 | 第2師団参謀 | |
湯川正隆 少佐 | 明治29年11月5日 |
名古屋支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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古谷安民 少佐 | 明治29年4月1日 | 明治33年4月1日 | 第3師団司令部附 | 明治32年9月12日陸軍中佐進級 |
大阪支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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久宗朝光 少佐 | 明治29年4月1日 | |||
田中正知 中佐 | 明治40年 |
大阪支部附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)岡部重名 一軍医 | 明治41年9月21日 | 大正3年6月26日 | 陸軍二等軍医正・岡山衛戍病院長 | 歩兵第38聯隊附の兼勤 |
広島支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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鴨川有敏 少佐 | 明治29年4月1日 | 明治30年5月11日 | 歩兵第12聯隊第2大隊長 | |
根岸 榮 少佐 | 明治30年5月11日 | 明治33年3月31日 | 第5師団司令部附 |
小倉支部長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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千秋直之 大佐 | 明治40年4月20日 | 明治42年8月1日 | 陸軍運輸部本部長 |
事務官
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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山田保永 大佐 | 明治29年4月1日 | 明治32年3月13日 | 近衛歩兵第4聯隊長 | |
(兼)和田正邦 二監督 | 明治29年5月20日 | 明治29年6月9日 | 近衛師団監督部出仕 、臨時陸軍建築部御用掛 |
近衛師団監督部第3課長の兼勤 |
(兼)谷田文衞 中佐 | 明治29年9月25日 | 陸軍中央幼年学校長 | 陸軍省軍務局課員の兼勤 | |
和田正邦 二監督 | 明治30年4月1日 | 明治31年4月5日 | 第1師団監督部出仕 、臨時陸軍建築部御用掛 |
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(兼)平澤道次 二監督 | 明治32年3月29日 | 近衛師団監督部長 | 経理局第3課長の兼勤 | |
谷田文衞 大佐 | 明治32年3月13日 | 明治34年2月18日 | 第2師団参謀長 | |
大内守靜 少佐 | 明治32年3月13日 | 明治36年5月1日 | 歩兵第7聯隊長 | 臨時陸軍建築部東京支部長の兼勤 明治33年4月1日専補 明治34年6月20日陸軍中佐進級 |
(兼)湯本善太郎 二監督 | 明治34年11月3日 | 陸軍省経理局建築課長の兼勤 |
御用掛
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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(兼)和田正邦 二監督 | 明治29年6月9日 | 明治30年4月1日 | 臨時陸軍建築部事務官 | 近衛師団監督部出仕の兼勤 |
(兼)和田正邦 二監督 | 明治31年4月5日 | 明治32年2月10日 | 卒去 | 第1師団監督部出仕の兼勤 |
出典
- 「官報」
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)