南部辰丙
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- なんぶ しんぺい
- 南部辰丙
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士官生徒1
- 石川県
- 安政3年4月10日 - 昭和6年2月21日
経歴
安政3年4月10日 | 生 |
明治6年 | 陸軍教導団入 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年12月22日 | 任陸軍少尉 |
陸軍戸山学校教官兼同校教導大隊長将校生徒試験常置委員 | |
明治29年12月28日[1] | 補歩兵第42聯隊長 |
明治30年10月11日 | 東部都督部参謀 |
明治31年10月1日 | 歩兵第6聯隊長 |
明治32年2月10日 | 陸軍歩兵大佐 |
後備歩兵第3旅団長 | |
明治37年7月10日 | 陸軍少将・歩兵第5旅団長[2] |
明治38年6月14日 | 陸軍士官学校長 |
明治44年9月6日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
明治45年2月27日 | 憲兵司令官 |
大正4年2月15日 | 第2師団長 |
大正5年8月18日 | 待命被仰付 |
大正6年4月21日 | 予備役被仰付 |
大正8年4月1日 | 後備役 |
大正12年4月1日 | 退役 |
戦友共済生命顧問 | |
昭和6年2月21日 | 薨去 |
栄典
明治18年3月5日 | 叙正七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治23年5月30日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年5月23日 | 勲五等瑞宝章 |
明治28年10月18日 | 授双光旭日章 功四級金鵄勲章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治34年11月30日 | 勲四等瑞宝章[3] |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[4] |
大正3年7月10日 | 叙正四位 |
大正4年3月29日 | 叙勲一等授瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 授旭日大綬章 賜金1400円 大正三四年従軍記章[5] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正6年4月30日 | 叙従三位(特旨)[7] |
大正7年6月18日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第519号 明治18年3月28日(土曜日)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第4052号 明治30年1月4日(月曜日)
- 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- 官報第1415号 大正6年4月23日(月曜日)
- 官報第2002号 大正8年4月9日(水曜日)
- 官報第3227号 大正12年5月5日(土曜日)
- 官報第1251号 昭和6年3月4日(水曜日)
- 南部辰丙 (第8版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治28年5月10日とあるのは誤り。
- ↑ 戦時の任用で官報には不登載か
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1194号 大正5年7月24日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1426号 大正6年5月5日(土曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)