南部麒次郎
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- なんぶ きじろう
- 南部麒次郎
- 陸軍中将正四位勲一等功四級工学博士
- 砲兵
- 士候2
- 佐賀県平民
- 明治2年2月21日 - 昭和24年5月1日
経歴
明治2年2月21日 | 生 |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治41年12月21日 | 任陸軍砲兵中佐 |
明治44年8月12日 | 補東京砲兵工廠小銃製造所長兼陸軍技術審査部審査官陸軍戸山学校教官 |
免兼陸軍戸山学校教官 | |
兼陸軍技術審査部議員 | |
大正2年8月22日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正7年7月24日 | 任陸軍少将 東京砲兵工廠附兼陸軍技術審査部審査官陸軍技術審査部議員被仰付 |
大正8年4月15日 | 補東京砲兵工廠設計課長 |
大正10年10月24日 | 東京砲兵工廠小銃製造所長 |
大正11年8月15日 | 陸軍中将・東京砲兵工廠提理 |
大正12年4月1日 | 陸軍造兵廠火工廠長 |
大正12年8月6日 | 陸軍科学研究所長 |
大正13年12月15日 | 待命 |
大正13年12月20日 | 予備役 |
昭和7年4月1日 | 後備役 |
昭和11年4月1日 | 退役 |
昭和24年5月1日 | 卒去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[1] |
明治28年10月19日 | 功五級金鵄勲章 勲六等瑞宝章[2] |
明治30年12月15日 | 叙正七位 |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正7年8月30日 | 叙正五位 |
大正8年6月28日 | 工学博士[4] |
大正9年11月1日 | 戦捷記章[5] |
大正11年9月11日 | 叙従四位 |
大正14年1月19日 | 叙正四位(特旨)[6][7][8] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第5651号 明治35年5月9日(金曜日)
- 官報第8450号 明治44年8月21日(月曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- 官報. 1921年10月25日
- 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- 官報第2805号 昭和11年5月12日(火曜日)
- ↑ 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3694号 明治28年10月21日(月曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 大正8年時点で「佐賀県平民、正五位勲二等」
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3723号 大正14年1月22日(木曜日)
- ↑ 大正14年時点で「従四位勲一等功四級」
- ↑ 昭和9年後備役停年名簿では「正四位、旭二、瑞一、功四、工博」
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)