古城胤秀
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- ふるじょう たねひで
- 古城胤秀
- 陸軍少将従四位勲二等功五級
- 歩兵
- 士候15
- 鹿児島県士族
- 明治15年8月15日 - 昭和13年11月10日
経歴
明治15年8月15日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正9年8月10日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
大正13年8月20日 | 任陸軍歩兵中佐[1] 補天津駐屯歩兵隊長[2][3] |
昭和2年3月15日 | 補近衛歩兵第2聯隊附[3] |
昭和3年5月18日 | 支那駐屯軍司令部附[1][4] |
昭和3年8月10日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
昭和4年8月1日 | 近衛師団司令部附(中央大学服務) |
昭和5年8月1日 | 陸軍省新聞班長 |
昭和7年8月8日 | 近衛歩兵第1聯隊長[5] |
昭和8年3月18日 | 陸軍少将・第16師団司令部附 |
昭和10年3月15日 | 待命 |
昭和10年3月30日 | 予備役 |
昭和13年11月10日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[6] |
大正13年10月24日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和10年4月25日 | 叙従四位(特旨)[7] |
昭和13年11月10日 | 勲二等旭日重光章 支那事変従軍記章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3653号 大正13年10月25日(土曜日)
- 官報第3942号 昭和15年2月28日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- ↑ 官報第3599号 大正13年8月21日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第61号 昭和2年3月16日(水曜日)
- ↑ 昭和3年5月19日官報には記載がない。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和7年5月29日近衛歩兵第2聯隊長とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2493号 昭和10年4月27日(土曜日)