古谷安民
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- ふるたに やすたみ
- 古谷安民
- 陸軍少将正五位勲三等功三級
- 歩兵
- 士官生徒2
- 山口県士族
- 嘉永5年1月22日 - 大正7年11月22日
経歴
嘉永5年1月22日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治16年6月23日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治19年5月26日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治27年6月29日 | 任陸軍歩兵少佐 補歩兵第19聯隊附 |
第3師団司令部附被仰付 | |
明治29年4月1日 | 補臨時陸軍建築部名古屋支部長 |
明治32年9月12日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治33年4月1日 | 第3師団司令部附被仰付 元臨時陸軍建築部名古屋支部残務取扱ヲ命ス |
明治33年5月9日 | 補台湾守備歩兵第10大隊長 |
明治33年10月31日 | 補歩兵第30聯隊長 |
明治35年11月7日 | 歩兵第4聯隊長 |
明治35年11月15日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治36年3月21日 | 休職被仰付 |
明治37年5月2日 | 第3軍兵站監 |
明治38年 | 鴨緑江軍兵站監 |
明治39年1月20日 | 復員 |
明治39年4月17日 | 任陸軍少将 予備被仰付 |
明治40年4月1日 | 後備役[1] |
大正6年4月1日 | 退役 |
大正7年11月22日 | 卒去 |
栄典
明治16年7月16日 | 叙従七位 |
明治19年7月8日 | 叙正七位 |
明治22年11月22日 | 勲六等瑞宝章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
明治25年3月11日 | 叙従六位 |
明治28年10月21日 | 勲五等双光旭日章 年金100円 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年5月31日 | 叙正六位 |
明治35年10月20日 | 叙従五位 |
明治35年11月29日 | 勲四等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治39年10月30日 | 叙正五位(特旨)[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 官報第36号 明治16年6月11日(土曜日)
- 官報第929号 明治19年8月5日(木曜日)
- 官報第1925号 明治22年11月27日(水曜日)
- 官報第2607号 明治25年3月12日(土曜日)
- 官報第3300号 明治27年6月30日(土曜日)
- 官報第3695号 明治28年10月22日(火曜日)
- 官報第3832号 明治29年4月11日(土曜日)
- 官報第4164号 明治30年5月22日(土曜日)
- 官報第4172号 明治30年6月1日(火曜日)
- 官報第5022号 明治33年4月2日(月曜日)
- 官報第5054号 明治33年5月11日(金曜日)
- 官報第5202号 明治33年11月1日(木曜日)
- 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- 官報第5913号 明治36年3月23日(月曜日)
- 官報第6837号 明治39年4月18日(水曜日)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第1407号 大正6年4月13日(金曜日)
- 人事興信録 初版(明36.4刊)