向井齋輔
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- むかい さいすけ
- 向井齋輔
- 陸軍少将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒8
- 宮崎県
- 慶応1年1月18日 - 大正14年11月29日
経歴
慶応1年1月18日 | 生[1] |
明治19年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治33年10月31日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
明治37年11月16日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
明治38年4月10日 | 歩兵第50聯隊長[3] |
明治39年4月2日 | 補歩兵第29聯隊附[3][4] |
明治40年4月2日 | 補歩兵第27聯隊長[4] |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[2] |
明治43年11月30日 | 歩兵第8聯隊長 |
大正2年8月22日 | 任陸軍少将[2][5]・歩兵第22旅団長 |
大正6年8月6日 | 待命 |
大正6年12月1日 | 予備役[5] |
大正13年4月1日 | 後備役[6] |
大正14年11月29日 | 死去 |
栄典
明治34年10月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 |
明治36年3月9日 | 大清帝国二等第三双龍宝星[7] |
明治37年12月26日 | 叙正六位 |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正2年1月30日 | 叙正五位[9] |
大正3年時点 | 大清帝国二等第三双龍宝星 大韓帝国勲二等八卦章[2] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正6年1月29日 | 勲二等瑞宝章 |
大正6年12月28日 | 叙従四位(特旨)[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5487号 明治34年10月15日(火曜日)
- 官報第6451号 明治37年12月29日(木曜日)
- 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- 官報第1346号 大正6年1月30日(火曜日)
- 官報第4012号 大正15年1月12日(火曜日)
- ↑ 向井齋輔 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第6825号 明治39年4月4日(水曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第7125号 明治40年4月4日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿.大正12年4月1日調
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正13年4月1日調
- ↑ 官報第5950号 明治36年5月6日(水曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第150号 大正2年1月31日(金曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1624号 大正6年12月29日(土曜日)