和田龜治
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- わだ かめじ
- 和田龜治
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候6 陸大15
- 大分県
- 明治3年11月19日 - 昭和20年12月3日
経歴
明治3年11月19日 | 生[1] |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治34年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第15期) |
明治38年7月18日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
明治43年12月23日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
歩兵第3聯隊附[3] | |
大正3年5月11日 | 補麻布聯隊区司令官[3] |
大正4年2月15日 | 任陸軍歩兵大佐[4] |
大正4年8月10日 | 陸軍省高級副官 |
大正8年1月15日 | 任陸軍少将[4]・陸軍大学校幹事 |
大正10年6月3日 | 参謀本部第3部長 |
大正12年8月6日 | 任陸軍中将[1]・陸軍大学校長 |
大正14年5月1日 | 第1師団長 |
昭和3年8月10日 | 待命 |
昭和3年8月29日 | 予備役[1] |
昭和8年4月1日 | 後備役[5] |
昭和12年4月1日 | 退役 |
昭和20年12月3日 | 薨去 |
栄典
明治45年時点 | 正六位[2][6] |
明治45年時点 | 勲六等瑞宝章[2][6] |
明治45年時点 | 勲四等旭日小綬章[2][6] |
明治45年時点 | 功四級金鵄勲章[2][6] |
大正9年時点 | 正五位[4] |
大正9年時点 | 勲三等瑞宝章[4] |
大正9年時点 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール[4] |
大正9年11月1日 | 戦捷記章[7] |
大正12年11月20日 | 叙従四位[8] |
大正14年7月11日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[9] |
昭和3年9月28日 | 叙従三位(特旨) |
昭和6年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲二等瑞宝章[1] |
昭和6年時点 | ベルギー王国一等武功十字章[1] |
昭和6年時点 | フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエ[1] |
昭和6年時点 | ポーランド共和国二等復興勲章[1] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和11年10月22日 | 勲一等瑞宝章[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第539号 昭和3年10月10日(水曜日)
- 官報第3068号 昭和12年3月27日(土曜日)
- 官報第3100号 昭和12年5月7日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 官報第3868号 大正14年7月15日(水曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)