四王天延孝
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- しおうてん のぶたか
- 四王天延孝
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 工兵
- 士候11 陸大21
- 埼玉県
- 明治12年9月2日 - 昭和37年8月8日
経歴
明治12年9月2日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
大正9年1月30日 | 浦塩派遣軍司令部附 |
大正9年8月10日 | 陸軍工兵大佐 |
大正9年11月15日 | ハルピン特務機関長 |
大正11年4月1日 | 陸軍航空学校教官 |
大正11年9月26日 | 陸軍航空学校下志津分校長 |
大正12年8月6日 | 陸軍省軍務局航空課長 |
大正13年8月20日 | 陸軍少将・陸軍兵器本廠附 |
大正13年12月16日 | 国聯陸軍代表 |
大正14年3月31日 | 兼国聯空軍代表 |
昭和2年3月5日 | 豊予要塞司令官 |
昭和3年3月8日 | 第16師団司令部附 |
昭和3年12月21日 | 第3師団司令部附 |
昭和4年8月1日 | 陸軍中将・待命 |
昭和4年8月31日 | 予備役 |
昭和17年4月30日 | 第21回衆議院議員総選挙当選(東京5区) |
昭和20年12月2日 | A級戦犯容疑で逮捕 |
昭和21年 | 公職追放 |
昭和22年 | 釈放 |
昭和37年8月8日 | 死去 |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
大正13年11月15日 | 叙正五位[1] |
昭和4年9月30日 | 叙正四位(特旨)[2] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)