坂井徳太郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
- さかい とくたろう
- 坂井徳太郎
- 陸軍中将正四位勲二等功二級
- 歩兵
- 士候17
- 愛知県
- 明治18年2月17日 - 昭和46年3月2日
経歴
明治18年2月17日 | 生 |
明治38年3月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候17) |
明治38年4月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正11年2月8日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正15年3月2日 | 任陸軍歩兵中佐・近衛歩兵第3聯隊附 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐・第1師団司令部附(千葉医科大学服務) |
昭和8年8月1日 | 歩兵第21聯隊長 |
昭和10年12月2日 | 第11師団司令部附 |
昭和11年3月7日 | 陸軍少将 |
昭和11年12月1日 | 歩兵第11旅団長 |
昭和13年7月7日 | 第1独立守備隊司令官 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将 |
昭和14年8月1日 | 留守第6師団司令部附 |
昭和14年8月30日 | 待命 |
昭和14年8月31日 | 予備役被仰付 |
昭和18年時点 | 大政翼賛会愛知県支部常務委員 愛知県翼賛壮年団長 |
昭和20年3月31日 | 補名古屋聯隊区司令官兼名古屋地区司令官 |
昭和46年3月2日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲六等単光旭日章 賜金200円 明治三十七八年従軍記章 |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[1] |
昭和6年3月11日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和9年2月1日 | 叙正五位 |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和13年10月13日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和14年2月15日 | 叙従四位 |
昭和14年9月28日 | 叙正四位(特旨)[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和17年2月10日 | 功二級金鵄勲章(親授式)[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937900
- 官報第1259号 昭和6年3月13日(金曜日)
- 官報第2133号 昭和9年2月13日(火曜日)
- 官報第2772号 昭和11年4月1日(水曜日)
- 官報第3554号 昭和13年11月8日(火曜日)
- 官報第3721号 昭和14年6月3日(土曜日)
- 官報第3799号 昭和14年9月2日(土曜日)